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もう

 投稿者:えりざべす  投稿日:2011年 5月19日(木)10時59分1秒
返信・引用
  日本外の方が進んでいるといっても過言じゃないんですね
というより日本が停まってるのかな?
って感じちゃいました、参考になります

他に参考にしたのはこちらです
http://www.travel-kyushu.jp/ 九州旅ナビ
http://www.resort-style.com/ 別荘ナビ
http://www.toingakuen-ele.org happy campus days ~一度の青春備忘録~
http://www.ryutusangyo.jp/ 流通産業
http://www.travel-tokyou.jp/ 東京を巡りたい!国内旅行のススメ!
http://www.zakka-newlife.com/ 雑貨屋通り
http://www.fukushimashi-senmongakko.com/ 五反田のオープンハウス情報
http://www.aoyamagakuin-ele.com 今日から使える実践的不動産投資講座
http://www.br-reading.com/ トイレで読書
http://www.tokyoisland.com/ 島ぐらし in 東京

 
 

(無題)

 投稿者:おーつか  投稿日:2009年 5月22日(金)20時08分16秒
返信・引用
  本日より、メコン大学から、部屋を借りられました。
今後も住民ひろばには足を運ぶ予定ですが、ブティ、パンニャー両先生には今まで以上に管理、運営していただくことになると思います。
取り急ぎご報告まで
 

(無題)

 投稿者:おーつか  投稿日:2009年 5月 9日(土)12時21分34秒
返信・引用
  御園生先生。
まったくその通りかと思います。
異論はありません。
 

(無題)

 投稿者:御園生  投稿日:2009年 5月 9日(土)09時59分16秒
返信・引用
  御園生です。
多少なりとも情報教育に従事してきたものとして、現在の情報教育の状況をみるとき、いわゆる「操作能力」育成を目的としたコンピュータ教育がどのような結果を招いているのか、時として暗澹とした気持ちになることがあります。
大塚さんが言うように、そういったコンピュータ操作能力を育成することが、職業能力開発になる、という理論は日本でも88年の学習指導要領以来情報教育の主流となった風潮でした。

しかしコンピュータの操作に長けている、ということがそのまま就職への道筋にならないことは歴史が証明しています。コンピュータができたらバイトが多くなった、なんて聞いたことがありません。

イリイチはネットワークの未来像に何を見出していたのでしょうか?自らの考えを伝え、そしてさまざまな知的情報に触れる楽しさをより多くの人々と分かち合うことに見出していたのではないでしょうか?
コンピュータはそういったコンヴィヴィアルな教育のひとつのツールでしかありません。
情報教育にとってコンピュータは必須ではないのです。あくまで可能性でしかない。
問題とすべきなのはそのオブジェクトです。

たとえばかりに大塚さんの言うとおりVDTOで操作能力育成をしたら、どんな職業に就けるというのでしょうか?その道筋は明らかになっているのでしょうか?それはひとつの指針でしかないのではないでしょうか?
「コンピュータを学んだことがある」という学歴です。そういった環境にあり、学校に通って学んでいた、という生活レベルと出自、そのバックグラウンドを評価されているのではないでしょうか?
多少コンピュータをかじっていたり、カタコトの英語をできることをメリットに感じるのではなく、もっと学ばなければならないことがあるような気がするのです。
それをコンピュータを利用して支援していく、というのhが私の考えていることです。


現在のカンボジアでVDTOの卒業生がコンピュータを学ぶことで即仕事に就け、仕事の中でコンピュータを使う、ということがどうしても想定できません。
そんな不確かなものに振り回されるより、やりたい教育、そして信じる教育をやるほうがずっと誠実だと思います。

パソコンをちょっとできるより、ちゃんと自分のことを相手に伝えられ、文章を書け、そして他者に対する思いやりや敬意、そして真摯な職業観をもつるほうがずっと就職には有利だと思いますけど。

「コンピュータを学ぶこと」と「金銭を得ること」の関係があまりに抽象化しすぎています。同様に私は「英語を学ぶこと」に関しても疑問視しています。

「今の世の中、パソコン(英語)ぐらいできないと仕事に就けないゾ」って言ってる横丁のおっさんレベルの話ならわかりますけどね。
この段階ですでに主体化とは程遠い「巻き込まれた」教育課程に成り下がっている、って言うことに気がつきませんか?
海老原さんはそういった(権力機構が意図的に作り出した)世間の「風潮」に無防備に学校が「巻き込まれる」ことに警鐘を鳴らし、それに立ち向かうための教師、そして子ども達自身とそれを取り巻く地域の「主体化」をめざしたのではないですか?
大塚さんの読み方は違いますか?
 

(無題)

 投稿者:おーつか  投稿日:2009年 5月 8日(金)10時45分1秒
返信・引用
   御園生先生。 先生がイメージするパソコン教育がおぼろげながら理解できた気がします。

私はパソコンに疎く、うまく言えませんが、学習者がパソコンに「希望」というようなものを見出してもらうことが重要な気がしています。

それをどうやって見出してもらうのか、どのような「希望」なのかはうまく言えませんが、なんとなくそう感じています。
 

Re: 住民ひろばについて

 投稿者:御園生  投稿日:2009年 5月 4日(月)14時50分50秒
返信・引用
  > No.111[元記事へ]

おーつかさんへのお返事です。

御園生です。

>  ただ、この地域では「働くために」、「金銭を得るために」学ぶというのがベースにあるように感じています。パソコン学習で言えば、「使い方教育」というものなのかもしれませんが、このニーズを無視はできない状況があります。

当然だと思います。しかしながら「使い方」の教育と「人間拡張~の教育を別物として考えるのではなく、どちらを教育課程の主題にするのか、ということだと思うのです。
どちらが「金銭を得るため」の教育足りえるのでしょうか?「使い方」をまなぶ、ということは、主体化した労働への従事者となりうるのでしょうか?
「とりあえず」という言葉ですべてをくくってしまい、間に合わせの教育しか行ったこなかったことの整理をこの機会にしてはどうか、という提案なのです。
2者はそう反するものではなく、他方がもう一方に包含されるべきものでしょう。



>  うまく、VDTOで「使い方教育」を住民ひろばで「人間の機能の拡張装置としてのパソコン利用教室」をお互いに役割をもってできたらいいのかもしれません。
>  私はパソコンについて本当に疎い人間で、何とも案も意見もでないですが、「可能性」はあると思います。
>
> 坂本先生のプロジェクトの話ではないですが、この地域にとって、「働く」ということはキーワードかと思います。夢があるようで、自分で決められるようで、希望があるようなものでありながら、全くそうなっていない現状があるように思います。
>  セイハーくんは私に「英語を勉強してガイドになるんだ」と私に話し、その希望をもって、今、高校やVDTOの塾で一生懸命学習しています。そのかたわら市場の近くで、自転車やバイク修理の露店でアルバイトをしつつ、家の内職を手伝っています。
>  年末に彼の家に遊びに行ったときに「これは何を作っているの?何になるの?」と聞いたのですが、彼は「知らない」と言っていました。
>
>  セイハーくんは「何になるのか?誰が使うのか?どう使われるのか?」すべてが分からないものをただひたすら作る環境で、自分の人生を自分で切り開こうとしている青年なのかもしれません。
>
>  「仕事」についてであれ何であれ、お互いの主体を認め合った交流ができれば、非常に私としては価値があると思います。午前と午後が月ごとで入れ替わり、人の出入りが激しいVDTOと班や名簿は容易ではないかもしれませんが、無理ではないと感じます。
>  具体的な意見はありませんが、今の所そう感じます。
 

住民ひろばについて

 投稿者:おーつか  投稿日:2009年 5月 4日(月)12時51分33秒
返信・引用
  住民ひろばに関してですが、昨日も少し野尻氏とボランティの宍戸さんと話していたのですが、現状では基本的にかなり近所の子どもたちが、不定期に遊びに来る以外はこれといって活用できていない状況です。
 その子どもたちの遊び場として、住民ひろばを開放するのもありなのかもしれませんが、パンニャーが不在の時が多いうえに、我々が面倒をみて、居場所として提供することは現状では厳しいのではないかという話になりました。

 現状ではブティさんの提案した、アプサラ教室や、先生が提案してくださった、「人間の機能の拡張装置としてのパソコン利用教室」といったものを住民ひろばで行うことに先生がおっしゃる「可能性」はあるのかもしれません。

 ただ、この地域では「働くために」、「金銭を得るために」学ぶというのがベースにあるように感じています。パソコン学習で言えば、「使い方教育」というものなのかもしれませんが、このニーズを無視はできない状況があります。
 うまく、VDTOで「使い方教育」を住民ひろばで「人間の機能の拡張装置としてのパソコン利用教室」をお互いに役割をもってできたらいいのかもしれません。
 私はパソコンについて本当に疎い人間で、何とも案も意見もでないですが、「可能性」はあると思います。

坂本先生のプロジェクトの話ではないですが、この地域にとって、「働く」ということはキーワードかと思います。夢があるようで、自分で決められるようで、希望があるようなものでありながら、全くそうなっていない現状があるように思います。
 セイハーくんは私に「英語を勉強してガイドになるんだ」と私に話し、その希望をもって、今、高校やVDTOの塾で一生懸命学習しています。そのかたわら市場の近くで、自転車やバイク修理の露店でアルバイトをしつつ、家の内職を手伝っています。
 年末に彼の家に遊びに行ったときに「これは何を作っているの?何になるの?」と聞いたのですが、彼は「知らない」と言っていました。

 セイハーくんは「何になるのか?誰が使うのか?どう使われるのか?」すべてが分からないものをただひたすら作る環境で、自分の人生を自分で切り開こうとしている青年なのかもしれません。

 「仕事」についてであれ何であれ、お互いの主体を認め合った交流ができれば、非常に私としては価値があると思います。午前と午後が月ごとで入れ替わり、人の出入りが激しいVDTOと班や名簿は容易ではないかもしれませんが、無理ではないと感じます。
 具体的な意見はありませんが、今の所そう感じます。
 

ビッグミーティング

 投稿者:おーつか  投稿日:2009年 5月 4日(月)12時50分33秒
返信・引用
  御園生先生。大塚です。
ご丁寧かつ、分かりやすい書き込みありがとうございます。

まずは、昨日行われたビッグミーティングの様子について、私の日記を貼り付けさせていただきます。

5月3日日曜日

今日はビッグミーティングが行われた。テーマはHIVだった。リーダーが10人、その他の生徒が15人強という人数で、予想よりもいくぶん少なかったようだ。
基本的にセイハーが司会、進行を行い、彼の話術もあってか終始楽しそうな雰囲気で無事に終了した。3時間の長い計画があったが、始まりが10分遅れだった以外はすべて順調であった。
 野尻氏のヒアリングだと、このビッグミーティングのバックボーンはセイハーを始めとした高校生達が学校で学習したものらしい。つまりはリーダーズたちが学校で学習したことを、VDTOの子どもたちにも分かるように授業を行ったもののようだ。

 ARBAが協力した水とフルーツに関してだが、水はタンクの水を前に用意したが、ほとんど飲まれなかった。感覚的だがフルーツも彼らの財力保持とは見受けられなかった。少なからず、参加者がそれを楽しみに来ているということはないようだ。


 なぜ、このような形で、ビッグミーティングをするのかはなぞだが、①水やHIVの学習が非常に勉強になり、VDTOの子どもたちにも伝えたかった。②「リーダーズ」という明確な目的がない組織を運営していくうえで、何らかの求心力、役割が必要だから。③みんながあつまる一つの楽しみ。といったことがあげられるように感じる。
 どれが正解かは分からないし、どれもあるように感じるのだが、今日見ていて強く感じたのは③である。
 今回リーダーズ以外で30人程度の子どもが集まる予定だったらしいが、半分ほどしか来ていなかった。これといって、人を誘っているようには見えなかったので、来たい人だけが来たのだろうが、逆に日曜日にも関わらず、7時にはVDTOにやってくるリーダー以外の生徒も見受けられた(家の遠いシイナも7時に来ていた)。
 この地域の子どもたちにとって、日曜日というのは家の仕事を手伝う以外はこれといって娯楽はないのかもしれない。もしかすると、日本でいう「子ども会」の集会といった概念なのかもしれない。
 まだ、私自身がこの「ビッグミーティング」に関して意見をいう予定はないが、リーダーズが今後も続けるなら、協力していってもよいように感じる。

 もう少し、VDTOとは異なる子ども、小さい子どもも出席可能にし、ゆるやかに日曜日に地域の子どもたち同士が面倒を見合って遊ぶというのは悪くないような気がするのである。
 

(無題)

 投稿者:御園生  投稿日:2009年 5月 3日(日)15時15分58秒
返信・引用
  御園生です。

ブティさんからVDTOでパソコン教室をやりたい、という要望があったと聞いています。

その目的は何でしょうか?子ども達にパソコンを使えるようになることでしょうか。

私はコンピュータも含めた情報通信機器教育には2つの目的があると思います。

ひとつはパソコンやIT機器、あるいはソフトウエアの操作方法を学ぶことです。
どのように電源をいれ、どう操作するとなにができるのか?という「使い方教育」です。

市中のパソコン教室でやっているのがこれですね。

もうひとつは人間の機能の拡張装置としてのTI利用教育です。情報活用能力とか、CSCL(Computer supported cooperrative Learning)といわれるものです。
パソコンやIT機器を使うことによって自分の能力以上のことができるようになる。
あるいは授業の中でパソコンを使うことで、学ぶことや覚えること、そして何よりも「知ること」が今までとは想像できないくらい楽しく、そして創造的なものになる。

いままで文字を書くのがへたくそで作文や詩を書くことを苦手としていた子どもが、パソコンによって自分の考えを文章にして他の人に読んでもらえるようになり、その結果作文や詩を書くことが好きになってくる、紙や道具やなくて絵をかくことができなかった子どもが、PC上のお絵かきソフトで自分のイマジネーションどうりに自由に絵をかくことができるようになる。。。

前者は一般的な使用方法を教えて、使う目的は考えない、ということになります。
後者ではなによりもパソコンを使ってなにをやろうか?!!という疑問からスタートすることになります。
「いま、なにかしたいのか」「したいけどできないことはなにか?」ということが出発点になります。これを教育学の用語で目的(object)と呼びます。
子ども達の欲求をかなえるためのツール、まさに知的拡張のための装置、ということになるでしょう。
さらに後者では創った作品を他者に見せたり交換したりするコミュニケーションやプレゼンテーションの重要性も学ぶことになります。

前者の一般的な使い方教育では、世間で使われている程度の性能をそろえた最新のパソコンが必要となります。しかし後者ではなによりもオブジェクトが大切ですから、それを達成するための機能さえあればよい、ということになります。

私は今回のパソコンの導入は、後者の目的を考えていました。だからといって前者をやってはいけない、ということではありません。平行で行うことも必要なのかもしれません。

でも、学校であるVDTOの子ども達にとって大切なのはどちらなのでしょうか?
もう一度問い直してみる必要があると思います。
 

坂本プロジェクトについて

 投稿者:御園生  投稿日:2009年 5月 2日(土)21時04分45秒
返信・引用
  先週坂本氏と一緒に墨田区の押上小学校に行ってきました。
彼の進めている「カルチャークエスト」プロジェクトを実施する学校です。ここの6年生とVDTOの子ども達を総合学習の時間を使って交流する、というのが今回の目的です。

担当の高木先生とお話しました。彼は坂本氏の大学の同級生だそうです。
4時間ぐらいすっかり話し込んでしまいました。
私自身久しぶりに「実践」の場にいったこともあり、少々興奮してしたのかもしれません。

高木さんはいわゆる「スーパー先生」ではありません。どこにでもいるごくフツーの小学校の先生です。でも、なにかしらいつももやもやしたものを抱いている。こんなもやもやをなにか形にして、失敗してもいいから子ども達に投げかけてみたい、そんな願いからこのプロジェクトに参加することにしたそうですs。
自分が担任する6年生はもうすぐ中学校へと旅立つこどもたちです。自分は彼らになにが残せるのか、最近ではすごく気になっているとのことでした。

高木先生の願いを端的に言えば、それは「生きる力」と言い換えることができると思います。それはもっといえば「主体性」という言葉に凝縮されます。「自分の人生は自分で切り開くことができる」ということに気がついてほしい、ということなのかもしれません。
その人生のあり方はどうでもいい、なによりもそれを自分で選択し、決めているのか、という実感を味わってほしい、ということです。

VDTOの紹介ビデオを見て頂きました。見ている間彼はずっと考え込んでいました。

見た後「かわいそうなカンボジアの子ども達を支援しよう!みたいな授業にはしたくないね」

 自己決定と選択はすべての人々に共通の課題です。たとえその決定がどうであれ、です。
だからこそ対等な立場で交流が可能になるのではないか、ということなのでしょう。

彼はその題材の一例として「職業観」はどうだろう?という提起をしていました。
確かに職業は、すべての子ども達が遅かれ早かれいずれ到着する決断の機会です。単なる進路指導ではなく、しごとって何だろう?ということをともに考え、それを交換し合うことできっと何かを学び取るのではないか、といっていました。

それと、今回のプロジェクトでは、お互いを「名前のある個人」として対峙しよう、ということになりました。単に「日本の小学生」や「カンボジアの子ども達」といったくくり方ではなく、「○×ちゃん」「△□くん」といった名前のある人格として認め合ってはどうか、ということです。これによりマクロ的な比較対象や優劣、経済格差(かわいそうなカンボジアの子ども達/裕福で幸せな日本の小学生、といった)などを意識せずに、互いを主体として認め合えるきっかけになるのではないか、ということです。
事前にちゃんとお互いのクラスの名簿を交換するとか、パートナーを決める、といった工夫が必要になるのかもしれません。

ぜひ大塚さん、野尻さんのご意見をお聞かせいただければと思います。

ちなみにカルチャークエストはアメリカで生まれた「プログラム学習」に源を持つものです。スキナーはプログラム学習の最大の利点は学習者(子ども達)が自分のペースで学習でき、その評価をすることができることだと述べています。

まあアメリカの小学校では、授業のすべてがプログラム型だともいえますねど。
 

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