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     長歌  - 夜雨思 -             

 投稿者: 広大  投稿日:2008年 1月29日(火)19時53分14秒
編集済
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かがなべて父に背きつ 天離る鄙にし棲みて 現そ身は省もせず そこはかと在り経しものや
(かがなべてちちにそむきつ あまさかるひなにしすみて うつそみはかえりみもせず そこはかとありへしものや)

春早き睦月の三十日 珍たから吾に授かれり 人の道ふめよ枉がなく 広大とぞ名は附しにけり
(はるはやきむつきのみそか うずたからあにさずかれり ひとのみちふめよまがなく こうだいとぞなはふしにけり)

よるひるのけじめ辨たぬ 網膜をあきてさぐるは たらちねの母の乳房ぞ
(よるひるのけじめわかたぬ もうまくをあきてさぐるは たらちねのははのちぶさぞ)

乳臭き面を真向けて 笑まいすは ここな吾をぞ
(ちちくさきおもをまむけて えまひすは ここなわれをぞ)


     長編につき以下割愛 .. (笑;




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      おとん が コケた話し ..               

 投稿者: 広大  投稿日:2007年 1月 6日(土)15時46分28秒
編集済
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装幀の修理が済んだ本を友人の古本屋から受け取り 次第に雪の白が濃くなりつつある冷たいミゾレが
頭上近くにまで垂れ下がった鉛色の雲から ほとばしる様な勢いで降り注いでくる歩道を 急ぎ足の帰り道で
したが 呼ばれたような気がしてコウモリを傾け振り返りましたよ

バシャバシャ跳ねる水音を響かせ 忙しくワイパーを振る車の通りも少なめで 歩道にも人影は まばらです
気のせいかと歩き出したところへ 今度はハッキリした声で背中を呼ばれ また立ち止まり振り返れば
通り過ぎたビル陰の 庇の下から背の高い二人が小走りに寄って来ました

肌の色も違えば鼻の高さも違う 街中で見慣れた人相とは一味も二味も違う二人でありましたが 違ったのは
それだけでは無かった
先に近寄った一人の薄く金髪のヒゲをたくわえた口から出てきた音声は日本語ではなく その上に非常な
早口なのである
後から寄ってきた人も幾分年若そうには見え ヒゲこそは無かったが 言葉は同じで理解不能

街なかで見慣れているせいか 国籍や衣装の違いはあれ観光客や旅行者達のみが持つ独特の雰囲気はすぐ判る
この二人にしても 旅行途中この街に立ち寄った人達なのだろうと判りはしたが 意志の伝わらないもどかしさ
はて 宿の案内でも請いたいのか 名物の美味いモノでも問いたいのか 選りによって私を標的に択んだのは
この方たちの不運であり 誠に生憎なとしか云いようも無い .. (笑;

慣れた人ならば アイ キヤン ノット スピーク・・・ と やらかすのであろうが わだぐじにそんな余裕はない
アイムソーリー ジヤパニーズ オンリー .. 立てた親指で自分の胸を指しながらカタカナ語で やっとそこまでは言った

 フード付きの防寒ジャンパーを着用しながら むき出しの金髪には雪の白さが乗って行く二人で
 頭だけでもとコウモリを差掛けはしたが わだぐじのカタカナ語が通じたのか通じはしなかったのか
 困り果てたといった顔つきで 身振り手振りを加え二人はさらに話しかけてくる

この街に暮らす外国人ならアメリカ人の友人も居るし 食堂で無駄話をするフレンチやイタリアンだって居る
しかし 彼らはたどたどしくも日本語で意志の疎通が出来る人達であり 時折お国の言葉が出ても聞けば解説をして貰えたので この二人に対しての様な言語の壁というものを意識したことは無かった


 やむを得ず思いついた交番であったが 通りがかりに目が合えば挨拶をしてくれる顔見知りではあるが
 いずれも五十代半ばとも思える巡査部長さん達に この二人が納得の行く会話が出来るとも思えず(失礼)
 次に思い当たったのは 観光案内所であった
 外国からの観光客も多い土地柄であれば 英会話が堪能な職員も必ず居るはず ..

少し歩いた雑貨屋でコウモリを二本買い入れてそれぞれに渡し 折良く通りかかった個人タクシーに揺られて
観光案内所へと乗り込んだが 期待は図星であった

 手慣れた風に英語を操る職員の応対に安心したらしく サンキュー  サンキュー ソー マッチ ..
 笑顔になった二人から交互に手を握られ やっと解放された安堵感で この人達になにを問われたのかは
 聞き漏らしてしまった

徒歩や自転車 リヤカーなどを引いて世界各地を彷徨った人のインタビューを テレビで見たことがあったが
彼らの話では 特別に外国語などを習ったこともなく だいたい日本語で用は足りる そんな話であったと思う
とすれば あだぐじの日本語は? .. 状況の違いとはいえ 少々自信を失いかけた事件ではありました


まあ 思えば ..   昔と言っていいほどに以前の 西の街でのコトではありましたが
まだ英会話教室が目新しかった頃 通っていた従姉のドリルに「TIGER」の和訳を「まほうびん」と書かれた
答案用紙を見付けたおとんが 娘を呼びつけ

 - これはタイガーやろ? -  と娘を叱れば 隣にいたおかんも

 - アホな子やねえ .. タイガーならジャーでっしゃろ! -

   おとんは 椅子から転がり落ちた ..

 どこぞの落語にでもなりそうな話ではありますし 今ではほとんど伝説化してはおりますがね
 哀しいかな可笑しいかな 実話なのでありますわ .. (笑;


  こんな話なら そこいらにいくらでも転がっている そんな家系のわだぐじでありますもん
  家と馬とを間違えるくらい 朝飯前でありますよ .. ハエ ..  (笑;





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      ・・・            

 投稿者: 広大  投稿日:2006年11月10日(金)20時51分24秒
編集済
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 第一志望を射止めた新入社員と 志とはいささか異り やむを得ず第二志望以下の会社を選ばざるを得な
 かった新入社員とでは 歩くとき振る腕幅の大小に差がある そんな話をしてくれた先輩がいた

  入社から半年 何とかサラリーマン生活にも慣れ始めた頃の私で 恐縮ながらだいぶ以前のことでは
  あるのですが ..



今年も入社式より半年が過ぎ 営業職はみな艶よく日焼けをし バックオフィス勤務の人も周囲の人間関係に
そこそこ慣れてきたころ

研究職や現場勤務の理系の人は 理論と実際が天と地ほど違うコト 少しの工夫ですぐにもコストが下がり
工程も合理化できることにびっくりするやら 自信をつけるやら ..

勿論 良いことだけでは無く 多くの局面で大失敗で落ち込んだ事もあるのでしようが 昨今事務所を訪ねて
来る何人かの新人営業マン達も まだ何処かに新人のウブらしさを残しながらも それなりにソコソコ輝いては
見える



「彼ったらね 第一志望は一部上場の大企業だからって張り切ってたし 私としても せめていいお給料の
 会社に入って欲しいとは思ってたわ .. でも20社も回って やっと内定取れたの .. 現実はね」

表の通りでひょっこり出くわした彼女は 従妹の友達であり 私もよく見知った人である
一週間の出張だという 彼の愚痴を聞いて欲しい と誘われたスナックのカウンターで 彼からは 年上の彼女でありました


「でも この前会った時はすごく元気そうだったし もういっぱしの営業マンで しきりに『わが社の将来は』
 なんて言っていたけれど? ..」

「だから それがわかんないの .. 第二志望とか せめて第五志望くらいなら許すけど 今のは第二十志望
 くらいなのよ .. いわば その他大勢じゃない? もう妥協しまくっちゃったわけでしょ ..
 それが何で『わが社』なの? .. 『うちの会社』なの? ..」

「節操が無いってこと?」

「そう! もっと云えば 満足するレベルが低いんじゃないの? ってこと .. でしょ? ..」

「うーん .. それは ..」
いくつかの理由を挙げかけ 口をつぐんだ


  彼が 元気に『わが社』と言えるようになるまでに 乗り越えなければならなかった 山
  渡らねばならなかった 谷   横断しなければならなかった 荒野
  それに費やした その涙ぐましい 努力 ..

  いちいち挙げても この人の理解を得るまでには相当の時間が必要だと感じ 説明の合間にも
  次々 新しい疑問を生じそうで それもまた難題とも思えましたから ..


   一体化できないモノのために 男は仕えられはしない
   尊敬できないモノのために 男は忠誠を誓えられはしない
   愛情を持てないモノのために 人生を棒に振ることは出来ない

    ならばこそ 万感こもる『わが社』の コトバ


     頑張れ サカタくん .. でも この女性も大切に ..

      決して けっして 判ってくれ などとは言わないで ..





.
 

       ・・・               

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 7月 6日(木)19時09分54秒
編集済
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 裏を見れば金糸で縁取られた枠の中 お名前の縫い取りの下に ○○テーラー謹製 などと刺繍があるのでは
 ないかと思われる様な きっちりしたスーツを着こなされた紳士に 季節にあった着物をお召しになられて
 後についてこられるご婦人とも 七十代半ばくらいとお見受けできる ご夫婦のようでした

 そのご夫婦 柱に添って立っていた私の前をすぎ 初診受付 と表示されたカウンターの前に立つと

 「フンニョウカを受けたい」 やや声高に 受付の女性に告げた

 三十代とおぼしき カウンターの担当の女性は

 「診察は初めてですか?」 と 慣れた口調である

 「ええ 初めてです」 紳士の半歩ほど後ろから 奥さんと思われる女性が告げた

 「では恐れ入りますが この用紙に書き込んで保険証と一緒にお出しさい 不明なところは結構です」


 書き込んだ用紙を持った紳士が 再びカウンターの前に立った

 これも慣れた仕草で用紙を受け取った担当の女性

 「ただいま診察券をお作りしますので少々お待ち下さい」

 テキパキ応対すると用紙と保険証を持ち 後ろのデスクに並んだPCの一台と向かい合った
 慣れた作業とはいえ 淀みなくキーを打ち込んでゆく手元は鮮やかである

 時間だけは随分と長くキーボードを叩いてきたつもりの私であるが この差はどういうコトなのかな ..
 腹にそんなつぶやきを漏らしたとき キーを叩いていた女性の手が止まった


 思案気に用紙を読み直している様子であったが ウンターの向こうに出てくると

 「あの ヒニョウキカのことでしょうか?」 紳士に問いかけた

 「違う! フンニョウカ!」 紳士は 繰り返した

 後ろで 奥さんらしき女性も頷いて 同意している

 「でも .. 」 口ごもる受付の女性の態度に業を煮やしたのか

 「こんな大きな病院なのに フンニョウカが無いのか!?」 紳士の声は さらに高めである


 奥のデスクから 男性職員がカウンターの外に出てきた

 「どの様な症状でしょうか?」 声色も口調も さらに丁寧である


 小声のつもりなのでしょうが 地声が大きいせいなのか

 「便に血が混じっている」

  視線をそらせていた私にも 聞こえてしまった (笑;


 男性職員の目配せを受けて さっさと作った診察券と受診表を挟んだファイルを受付の女史から受け取ると

 「ご案内いたします」 男性職員は先に立って歩き出した


 初老の紳士とその奥様は 受診科ごとに色分けされた導線がカラフルな縞模様となって長く伸る広い通路を
 男性職員に誘導され 二階 三階へ続くエスカレーターの方へ 悠々と去ってゆかれた


  背筋のしやんと伸びた紳士の後ろ姿を見送りつ フンニョウカ = 糞尿科 と 気が付いたコトでした
  たぶん行く先は 消化器内科 か 泌尿器科 あたりなのでしようか ..

   間違いに勘違い 誰にでもありますけれど ね ..  (笑;


  まあ 病院の事情などには疎いほど健康であるならば 何よりなことです ..





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       ・・・               

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 7月 4日(火)23時23分56秒
編集済
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 「若い時って 金ないじゃないですか」

  日本海に面した漁師町で育ったという後輩に誘われた海鮮料理の店で 出てきたホッケの開きを前に
  - 今だって若いよ - とまぜっかえしつつ 盃を傾けた昨日のこと


 「デートに誘ってもお金ないもんですからね
  夕ご飯一緒に食べようったってそんなに贅沢できないわけです」

 ある晩 彼女には柳カレイを奮発 自分はホッケの開きで我慢しようと考えた
 値段は 倍ほども違う

  しかし紳士である彼は メニューの値段のところを彼女には見せず でも明日の昼飯は水だけかと
  思いながら注文をした

 「どちらも焼き物ですから一緒のタイミングで出てきたんです そしたら ..」

 彼女 柳カレイは「薄っぺらい」と ご不満を漏らされ 「あなたの方が美味しそうじゃない」と
 箸を出してきた のだという

 ほどよく脂がのり 確かにそれなりに美味ではある
 が しかし 漁師の息子の舌からすれば 比較にもならないほど 柳カレイのほうが上品な味のハズである

 「なによ 自分だけおいしいもの食べて ずるいじゃないの」

 怒っている
 そもそも彼女は ホッケが下魚だということも知らない 山の手育ちのお嬢さまなのであったとか ..

 柳カレイとの値段と 味の差を言い立てても始まらない
 純情だった彼は焦るばかりで とうとう下を向いて黙ってしまったそうだ


  おずおずと顔を上げてみれば 彼女の目が笑っていた

 「これから二人りで何時もこうしておんなじお魚いただくのよね ..
  人が召し上がっている食べ物にお箸を出したのは 初めて」


   お返しに 彼も柳カレイならぬ柳腰に 箸ではなく腕を回してあげたのかどうか ..
   いい気分で酔ってしまったワダスは それから後に続いた話を よく覚えてはいない

   が この秋パパになりますと照れながら白状した彼の愛妻が 柳カレイの彼女であるには
     違いない





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       ・・・                

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 6月10日(土)17時09分6秒
編集済
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 融通が利かないというのは その人柄でもあるのだろうし これは仕方がない
 しかし そのつど話の内容が自分に都合よく二転三転するという人は 困る
 これは人柄の以前に 人間性を疑わざるを得ない


出先で辻褄の合わない話を重ねて聞かされ 少々うんざり気味で立ち寄った友人のスナックでした

幾組かの客で賑わっているカウンターでしたが 招き猫がちょこんと留守番をして呉れているおかげで 端の私の常席と隣の椅子は空いていた

様々のグラスが並ぶカウンターの中程から 肘をついた手を振り挨拶をしてくれる人が居り 会釈を返したところで

- コヒ? -
 カウンターの中から 友人が声をかけてくれた


オリジナルブレンドだと言うコヒの二杯目が 違うカップで出され クリームをどうしようか ぼんやり揺れるコヒの黒い水面を見詰めていた

- こんばんは -
 隣の椅子に腰を掛ける気配と声があり オーバーオールに同じジーンズシャツの女性がペコリと頭を下げた
 それから挨拶を返す暇もなく 無造作に捲り上げられた袖口からのびた白い腕で私のコヒカップを取り上げ

- ひと口ちょうだい -
 止める前に 含んだひと口をゴクリと飲み下し

- うわぁ ブラック .. -
 口一杯広がったであろう苦みに 眉をしかめた

 成り行きを見ていた友人と あっけに取られていた私は顔を見合わせ 苦笑をこらえた

いつであったか ご自身からスカートをたくし上げ お御足を拝見させていただいた頭脳明晰ちやんで 黒いストッキングの話に乗り損なったわだぐじを - バカ! - と お褒め下さった お嬢ちゃんでした



- 工業製品だから百点は無いのは判るが それにしても×××(ドイツ人の名前)も △△△△△(イタリアの
 トリノにある自動車工場)も よく故障するらしい -

- うちの○○○ー(猛獣の名前)なんて まだ買って一年なのに月十万だぜ -

話しは ふたつ隣の三人連れらしい紳士の椅子から聞こえてきた
ボヤいている様には聞こえるが 何のコトは無い 自慢話しの様である


- うわぁ ○○○ー(猛獣の名前)飼ってるの? すごーぃ -
- お屋敷広いんですねえ .. えさ代十万くらい安いもんじゃない? 高級なお肉なんでしょ? -
 カウンターに載せるほど顔を傾けて オーバーオールちゃんが 口を挟んだ

- あはは ○○○ー(猛獣の名前)飼うほど広くないさ 車の話だよ  外国車って維持するのにお金かかるん
 だよ -

- なぁーんだ クルマかぁ -
- そう言えばおじいちゃんの□□□□(別のドイツ人の名前)も 部品代がわたしのお小遣いくらいかかるって
 言ってたっけ .. でも時計だって大変よ 一日忘れてると止まっちゃうんだから -
 聞いて 白い華奢な腕を見れば 女物でゼンマイ巻きのオメガである

- 確かに .. 毎年オーバーホールしないとダメだしね -

 そういう類のモノにはさっぱり興味の無いわだくしで 気が付かなかったのだが その客のきっちり着こな
 したスーツの袖口から見え隠れするのは ローレックスのようであった


愛車は国産 それも名称こそは米国風の横文字ではあるが貨客両用 いや ほぼ貨物車で 乗心地よりは 少しぐらいの山地や河原なら走破できる頑丈優先の車であり 粗忽を自認する私の腕時計は 飽和潜水にも耐えうる防水性能と 強靱な耐ショック機能を備えたダイバーウオッチだが 国産のクォーツである


 世界中に正確な時間を安価に提供し 更に三年毎の電池交換以外は殆どメンテナンスフリー!
 日本が世界に誇っていい技術の粋!
 世界が知っている日本の技術力!

 我ながら ちと大人気無いなと思ったほど少々興奮気味に抵抗するわだぐじに 頭脳明晰ちゃんの いわく

 - 広大さんとは 一秒の価値が違うんだも~ん -


   今日 六月十日は 時の記念日です ..  ハェ ..





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      衣更え                

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 5月 9日(火)16時34分32秒
編集済
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 咲き出してからたて続けに低い気温に見舞われているからなのか この春はどの花も花持ちが良い
 花が長持ちすれば蜜を求めて飛び交う虫たちも喜びそうなものであるが それも今ひとつ活気に欠けた
 羽音は やはり不足がちな陽光のせいなのかもしれない

例年五月は 同じ市内に住む女達の出入りが頻繁になる私の家である
家主によれば間もなく80年にもなるという建物で さすがに瓦の一部や外周りの何箇所かに手を入れた跡が
判るが 間数だけはやたらと多く 独りの私では使いようもない 中廊下を挟んで北向きに並ぶ部屋の幾つかは
マンション暮らしをする従姉たちの物置になっている

物置とは云ってもそのほとんどが衣類のようで 陽気がかわる五月は衣替えを目前にしてあれやこれやと衣類の入れ替えが忙しく 休日ともなれば入れ替わり立ち替わり クリーニングから戻ってきた冬物を抱えた女達でこっちのタンスあっちの引き出しと ゴソゴソガタガタ賑やかなコトである

折悪しく部屋でゴロゴロしているところ等を見つかると 当然のように「ちょっと手を貸して」なんてハメになるのだが ふだん従姉たちの台所には一方ならぬお世話になっているコトでもあれば これは断れない

そんな日の玄関やホールは どこぞの配送センターさながらとなり 下手をすれば たまたま遊びに来ていた友達までもが巻き添えをくらうコトもあるが あまり気にもすることなくハイハイと手を貸してくれる友人達には感謝の食事(ほぼ出前だが) などで労をねぎらうコトも忘れない女達の評判は それほど悪くはない

まあ 餌には弱いところを見透かされているのか ダンナ達をはじめ男のあしらいには絶対の自信を持つ女達のようで 何時の間にか従姉たちを「姉さん」などと呼んでいる友人達には 苦笑させられる

里では ばば様がナフタリンを愛用していたせいか 結婚でこの街に新居を構えた里の従姉たちはもちろん 我が家同然にばば様のところに出入りをしていたほかの従姉達も みなナフタリンの愛用者である
冬の間にすっかり蒸発して空になった袋を取り出し 仕舞い込む冬物の間に手際よく新しいナフタリンの小袋を折り込んでゆく
鼻の奥に覚えがあるからなのか 開け放った五月の部屋に漂う樟脳の匂いは 嫌いではない

今年は少し暖かかったかと思えば身震いをする様な日が幾日も繰り返され 春は落ち着かずとは云え定まらぬ陽気に そのつど部屋を掻き回しに来る女達で結構な賑わいが続いているこの家ではある

同じ市内に居る四人の従姉うち 三人は既婚で一人は共稼ぎ 親は違うが二人も共稼ぎでともにご主人と同じ職業ではあるのだが 勤め先の都合で二人のダンナは単身赴任ちゅうである

残る一人はこの人も三人とは別の叔母の娘であり 私からは一番年下の従姉で 私とさほどに年齢差は無いのだが 色白で まあまあ美人に近い(?) 器量のわりには異性よりも学問の方に魅入られて居るらしく 未だ
独り身で どこぞのガッコで講師なんぞを務めている

上の従姉の話しによれば この独身従姉は
- 本人は憶えていないようだけれど 幼稚園児だったちょうど今頃の季節 ナフタリンを食べ大騒ぎになった -
 ことがあるのだとか

  正真正銘 虫がつかない理由 なのだそうである  (笑;



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      言い訳 ・・             

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 5月 6日(土)17時03分9秒
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     の

       云いワケ ..

     大切に扱ってはいたのですが 「葉隠」  背糊はバリバリと音をたて

      赤茶けて 背を止めた糸綴じも 糸はモトから切れ外れて

     背表紙をつまみ上げれば ページは はかなく落ち葉のごとく床に舞うしまつ

   と 云うことで 可愛い「葉隠」は 装丁の補修中であります

     古書店へ 同名書の探索を依頼してはありますが お先真っ暗なのだとか ..

   装丁の補修完了後には 遅滞なく掲載いたしますので なにとぞ いま しばしのご猶予を ..



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        わたしの 「葉隠」 Ⅴ          

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 3月30日(木)16時57分53秒
編集済
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  わたしの「証言」            三島 由紀夫

 昭和三十年に「小説家の休暇」という書き下ろしの評論を発表したとき わたしは戦後初めて自分の
 「葉隠」への愛着を人にもらした

  それは次のようである


 私は戦争中から読み出して 今も時おり「葉隠」を読む
 犬儒的(皮肉や屈辱的な) な逆説ではなく 行動の知恵と決意がおのずと逆説を生んでゆく類のない不思議
 な道徳書

 いかにも精気にあふれ いかにも明朗な人間的書物
 封建道徳などという既成概念で「葉隠」を読む人には この爽快さはほとんど味わうことはできない

 この本には 一つの社会の確乎たる倫理の下に生きる人たちの自由があふれている
 その倫理も 社会と経済のあらゆる網目をとおして生きている

 大前提が一つ与えられ この前提の下にすべては精力と情熱の賛美である
 エネルギーは善であり 無気力は悪である
 そうして驚くべき世間智が いささかのシニシズム(犬儒主義) も含まれずに語られる

 多くの人生批評家の著書を読むときの後味の悪さとは まさに対照的なもの
 「葉隠」ほど道徳的に自尊心を解放した本は あまり見当たらぬ

 精力を是認して自尊心を否認する というわけにはいかない
 ここでは行き過ぎと云うことはあり得ないし 高慢ですら道徳的なのである

 「武勇は 我は日本一と大高慢でなければならず」
 「武士たる者は 武勇に大高慢をなし 死狂ひの覚悟が肝要なり」
 正しい狂気というものがあるのだ

 行動人の便宜主義とでもいったものが 「葉隠」の生活道徳である
 流行については
 「されば その時代時代にて よき様にするが肝要なり」 と 事も無げに語られる

 便宜主義は 異様な洗練に対する倫理的潔癖さにすぎない
 「そげ者(変わり者)」で あらねばならぬ
 「古来の勇士は大そげ者なり そげ廻り 候(ソウロウ) 気情ゆえ気力強くして 勇気あり」

 あらゆる芸術作品が時代に対する抵抗から生まれる様に 山本常朝のこの聞書きも 元禄宝永の華美な風潮
 を背景にもっていた




 「武士道といふは 死ぬ事と見付けたり」

 かくて常朝が「武士道といふは 死ぬ事と見付けたり」と云うとき そこには彼のユートピア的な思想
 自由と幸福の理念が語られていた

 だから今日の我々には これを理想国の物語と読むことが可能なのである
 私にも もしこの理想国が完全に実現されれば そこの住人は現代の我々よりもはるかに幸福で自由だと
 云うことが ほぼ確実に思われる

  しかし確実に存在したのは 常朝の夢想だけである

 「葉隠」の著者は 時代病に対する過激な療法を考えた
 人間精神の分裂を予感した彼は 分裂の不幸を警告した

 「物が二つになるが悪しきなり」
 単純さへの信仰と賛美を甦らさねばならぬ

 どんな種類の情熱でも あらゆる本物の情熱に正しさを認めずにはいられぬ彼は 情熱の法則について
 知悉(チシツ : 知り尽くす) していた



  と こんな具合で三島センセはこのあと十数ページにわたり 著者の山本常朝がどの様な人であるか
  この「葉隠」が いかなる本であるかを 述べておられる

   が おーちゃくなわだぐじは この辺りでセンセの - プロローグ - を閉じたいと思う
   次からは いよいよ「葉隠」本体の 暴露であります .. が ..




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        わたしの 「葉隠」 Ⅳ          

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 3月28日(火)19時29分6秒
編集済
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  わたしにとって ただ一冊の本「葉隠」        三島 由紀夫

 ここにただ一つ残る本がある
 それこそ山本常朝(ジョウチョウ) の「葉隠」である

 戦争中から読み出して いつも自分の机の周辺に置き 以後二十数年間 折にふれあるページを読んで感銘を
 新たにした本といえば おそらく「葉隠」一冊であろう

 わけても「葉隠」は それが非常に流行し かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争が終わった
 後になり かえってわたしの中で光を放ちだした

 「葉隠」とは 本来そのような逆説的な本であるかも知れない
 戦争中の「葉隠」は いわば光の中に置かれた発光体であったが それが本当に光を放つのは闇の中だった
 のである


 戦後まもなく わたしは小説家として出発した
 当時のわたしの周辺には 新しい時代の 新しい文学の潮流が うずを巻いていた

  しかし このいわゆる戦後文学の時代は わたしに何らの思想的共感も 文学的共感もあたえなかった
  ただ わたしと違った思想的経歴を持ち わたしと違った文学的感受性を持った人たちのエネルギーと
  バイタリティだけが 嵐のようにわたしの側を擦過していった

 わたしは もちろん自分の孤独を感じた
 そうして戦争中から戦後にかけて 一貫する自分の最後のよりどころは何であろうかと考えた

 それはマルクスの「資本論」でもなく また教育勅語でもなかった
 その一貫するわたしを支える本こそが わたしのモラルの元となり 同時にわたし独自の青春を まるごと
 是認するものでなければならなかった

  わたしの その孤独と反時代的な立場を 両手でしっかりと支えてくれるものでなければならなかったし
  のみならず それは時代にとって禁断の書であるべきであった

  「葉隠」は このあらゆる要請に応えていた

 なぜなら 当時この一冊の本は戦時中にもてはやされたあらゆる本と同様に 大雑把に荒縄でひっくくられ
 ゴミ溜めへ捨てられた いとうべき醜悪な 忘れ去らるるべき汚らわしい本の一つと考えられていたからで
 ある

  かくて「葉隠」は時代の闇の中で 初めてその本当の光を放ちだした




  - 自由と情熱を説いた「葉隠」-

 わたしが戦争中から「葉隠」に感じていたものは かえってその時代になって ありありと本当の意味を
 示し始めた

  これは「自由」を説いた 書物なのである
  これは「情熱」を説いた 書物なのである

 「武士道といふは 死ぬ事と見付けたり」という 有名な一句以外に「葉隠」を良く読んだことのない人は
 未だに この本に忌まわしいファナティック(狂信的) なイメージを持っている

 しかし「武士道といふは 死ぬ事と見付けたり」と言うその一句が この本全体を象徴する逆説なのである

  わたしは そこに この本から生きる力を与えられる最大の理由を見い出した




.
 

        わたしの 「葉隠」 Ⅲ          

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 3月28日(火)18時25分10秒
編集済
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  プロローグ 「葉隠」と わたし        三島 由紀夫

 若い時の心の伴侶としては 友達と書物がある
 しかし 友達は生身の体を持っていて たえず変わってゆく

 ある一時期の感激も時とともにさめ また別の友達と別の感激が生まれてくる
 書物もある意味では その様なものである

 少年期の一時期に強烈な印象を受け 影響を受けた本も 何年か後に読んでみると感興は色あせ あたかも
 死骸の様に見える場合もないではない

 しかし 友達と書物との一番の差は 友達自身は変わるけれど書物自体は変わらない と言うことである

 それは 例え本棚の一隅に見捨てられていも それ自身の生命と思想を埃だらけになって頑固に守っており
 われわれは それに近づくか 遠ざかるか 自分の態度によってその書物を変化させていくことが出来るだけ
 である

 わたしの少年期は戦争時代に過ごされた
 当時 わたしにとって最も強烈な本は「ドルジェル伯の舞踏会」(レーモン・ラディゲ) であった

 古典的な傑作である
 本著によって著者はフランスでもその地位を確固たるものにし その作品の芸術的価値に疑いは無いが
 当時のわたしは半ば不純な読み方をしていたと言える

 なぜなら 天才ラディゲは二十歳で死に その様な傑作を残したので わたしも二十歳でおそらく戦争で死ぬ
 ことになるであろう自分をラディゲの像に仮託し なんとかラディゲを自分のライバルにして追い付こうと
 する目標に この小説を利用していたのである

  したがって 文学的嗜好が変わり 自分が思いがけず生き延びて戦後の時代に暮らすようになると
  おのずからラディゲの本の魅惑はうすれた

 もう一つの本は 上田秋成(アキナリ) の全集であった
 なぜ当時のわたしがそれほど秋成に執着していたのか 今ではよくわからない

  おそらく秋成の中の反時代的な精神と 芸術的な磨きのかかった一つの結晶とも言うべき短編の技術が
  わたしの中で 日本的な小説の理想像として育っていたからであろう

 秋成に対する尊敬も 今なお変わらないが その二つはじょじょにわたしの座右の書ではなくなっていった




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        わたしの 「葉隠」 Ⅱ          

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 3月 5日(日)09時42分12秒
編集済
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  私のただ一冊の本「葉隠」

 いろいろ仕事が山積しているのに 光文社の依頼を受けて この本を引き受けてしまった理由と云うのは
 まことに単純であり 浅薄でもある

 つまり 私が断れば誰か他の人がこの本を書くだろう
 私は自分の「葉隠」を 他の誰にも渡したくなかったのである

 もちろん「葉隠」は大勢の人に読まれてきた
 しかし戦後「葉隠」が否定されていた時代に 一生懸命これを読み続けて鼓舞されてきた男は 私の他には
 多くはあるまいと云う「大高慢」が 私にあるからである

 現代 -1960年代- に至って「葉隠」は じつに不気味なほど現代的な本になってきた
 こんなモダンな本はあるまいと思うほどだ

 私の解説は その現代性に留意して できるだけ判り易く書いたつもりである

                                    三島 由紀夫



  著者略歴
  本名 平岡公成 -ひらおか きみたけ-
  大正14年1月14日 東京生まれ

  東大法学部卒業後 大蔵省に勤めたが 学習院高等部時代に書いた「花ざかりの森」で文壇に登場
  現在では文壇の鬼才としてノーベル賞の候補にもなり「ユキオ・ミシマ」の名は世界的に知られている

  著書に「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鏡子の家」「宴のあと」など 多数ある
  目下 三千枚の大作 「豊饒の海」に取り組んでいる


    -表にだけ光沢がコーティングされた本のカバーは 裏表紙の折込みなっている部分に
     こんな著者の言葉がある-




 これは 今も私の手元にある光文社刊の「葉隠入門 -武士道は生きている-」で 昭和42年9月1日初版
 昭和47年11月25日 52版発行と奥付には印刷してあるので その辺りの発行なのかも知れない

  本をよくする方にはご存知かもしれないが KOUBUNSHA と書かれた台に 足を半跏に組んだ河童が
  角笛を吹いているマークである

 わたしが二の蔵の二階奥に 束ねて積み重ねられた本の中からこの本を見つけたとき すでにカバーの隅は
 それぞれの折り目にそって千切れかけていて 切れた部分に裏表から薄い和紙の補強がしてあったが パラ
 パラと繰ったその本には 所々に朱色のインクで書き込みがしてあることも 小窓からの明かりで見えた

 その冬の休みが終われば 中学生生活も二年目に入る日のことで タイトルを -葉かくし?- と 読んだ私は
 楽園を追われるアダムとイブが付けている葉っぱの形が ちらりと脳裏をよぎり ..

 まあ 今にして思えば そんな他愛も無いコトにさえ 意味の判らない息苦しさを覚えたような まことに
 多感な年頃(?) にさしかかろうとしていた時期のことでありました ..

  ( そう云えば アダムとイブ あの葉っぱがどんな具合に取付けてあるのか 興味津々だったコトを
   思い出した ..  疑問は 未だ疑問のママでありますが .. (笑; )


 しかし誰がこの本を買い 読んでいたのか ばば様や叔母たちに聞いても誰も知らなかったのは 不思議で
 あったが 女ばかり七人の子をもうけながら その娘たちをばば様一人に押し付けて 急な病で さっさと
 この世におさらばして逝った 私には顔も見知らぬ爺様の形見かも知れないと気が付いたとき 無性に
 「読まなくては」と 思ったことでありました





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        わたしの 「葉隠」 Ⅰ          

 投稿者: 広大  投稿日:2006年 2月28日(火)19時10分36秒
編集済
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 この自堕落な時代に 多くの男達は自らを武装することもなく、安逸に己の人生を消耗する.
 自堕落と安逸のうちに男の矜持と尊厳を打ち捨て、士(サムライ) として失格しながら省みることもなく.

 だが ここに一人の男がある.
 明晰な逆説と皮肉で 己を核とした意識の城を築き、いつも白刃をいだいて美の臥所に寝ている士がいる.

 この知的で かつ 痴的な乱世に、あるときは金色(コンジキ) をまぶした七色の甲冑に身をかため、
 またあるときには まったくの裸身を風にさらし、変化(ヘンゲ) の妖しい士がいる.

   その彼が、いつも手放さずにいる佩刀が「葉隠」である.

   もう少し若かった石原慎太郎さんは 彼を評してこう述べている




  「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鏡子の家」「宴のあと」「豊饒の海」etc
  私は、それらの著書の後尾にちまちまとある著者略歴でしか「三島由紀夫」を知らない


 後に 豊かになってゆく国情に反し荒廃惑乱してゆく男達の精神を嘆き「盾の会」を結成、東京阿佐ヶ谷の
 自衛隊(総司令部があった) を占拠 ここから全国の男達へ護国蜂起の檄を飛ばしたが 力及ばぬことを悟り

「盾の会」指令の青年に介錯をゆだねて 古式どおり自らの腹を掻っ捌き 壮絶な最後を遂げたことを知った
 のは 三島由紀夫氏とはまったく関係の無い 別の本の中でのことであった





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       好きな食べ物は?             

 投稿者: 広大メール  投稿日:2006年 2月23日(木)09時56分49秒
編集済
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   「君の好む食べ物で おおよその性格が判るよ」

   男子学生にそう告げられたある女子医大生グループが ムキになって採った統計なのだと
   云いますけれど ..




 - 辛 党 -
 辛いものが好きな人は食べるスピードが速く 比較的ゆっくり口の中で味わうことをしない人が多い
 食べ物が口の中を素早く通過するために辛いもの 濃い味でないとピンとこない
 つまり辛党と云われる人は 短気でセッカチな性格の人かな ..



 - 薄味好き -
 関西風の薄味を好む人には 食べ物をゆっくり食べる人が多い様である
 このタイプの人は思索型が多い様で 策略が得意
 一見のんびりとしていて大人の印象だが 悪く言えば陰謀がお得意の謀略家だと思われ 敵にまわすと
 厄介なタイプ とか ..



 - 甘 党 -
 比較的 神経の細い人が多い様に思われ 常にストレスで緊張し 血液中の糖分が不足気味になるので
 甘い物を欲しがる つまりは欲求不満でもある様な ..
 意外に繊細な性格で それが緊張と欲求不満を生み出しているのだが 仕事をさせると1日延ばしに
 したりする傾向があるのは 緊張とストレスがそうさせるのでしょうか ..
 人あたりは良いが 仕事をさせるとズルズルと焦れったい人かも ..



 - 野菜嫌い -
 ズバリ 情緒不安定の傾向が強く こればかりは色々な調査で証明されているらしい
 野菜が嫌いな度合いは そのまま情緒不安定の度合いともなっている様で 極端な野菜嫌いは
 極端な情緒不安定でもあり ワガママで 他人に対する依頼心も強いと云う ..

 野菜嫌いの上司を持つと どうにも辛いコトになりそうで 情緒は不安定だし 骨の髄まで人を利用し
 尽くす人だと云う .. 要注意!

 とは云え 現代は全体に野菜嫌いの時代と云うコトで 情緒不安定の時代でもある様で
 母さんが「野菜もちゃんと食べなさいッ」と叱るのは 自然のうちの情操教育であるのかも知れない ..



 - 早メシ型 -
 ガツガツと食べ 食事をサッサと終える早メシ型は 自己中心的性格の持ち主に多いらしい ..
 自分の考えたコトは全て良いが 他人のコトは全て気に入らない オマケによく気が変わる らしい ..

 こんな早メシ型を上司に持ったなら ちと面倒かも ですなあ ..



 - 猫 舌 -
 のんびりしている性格か 物事をじっくり行うタイプに多いらしい ..

 その反対が熱いモノ好きで 火傷しそうな麺類をフーフー言いながら食べるタイプには わりと 気短な
 性格の人が多いとか ..



 - 酸っぱいモノ好き -
 身体はストレスが強くかかるほど 酸味の味覚には鈍くなる
 家庭内や職場でゴタゴタのある人 恋愛中 妊娠中の人などには強烈なストレスがかかっているために
 少々の酸っぱさでは感じないほど 酸味好きになると云う

 見るからにお気楽そうで 穏やかな上司が
 「ボクは酸っぱいものが好きでネ..」  これはこれで 人知れぬストレスが ..




    はてさて 如何なものでありましょうや ..



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        二股考                  

 投稿者: 広大メール  投稿日:2006年 1月10日(火)19時41分42秒
編集済
                          -あるオッさん(同級生とも言う) からのメルにおもう-



  親密だった交際相手と別れ その後1、2ヶ月ほどで違う相手と結婚した と言う話を時々耳にする
  これって 一体どうなのだろうか? ..

  実は 私の従兄弟もそうなのだ
  従兄弟の場合は別れた女性が その1ヵ月後くらいに他の男性と結婚したと言う話らしい

  本人からその話を直接聞いた訳ではないのだが 私は結構根回しをして情報を他方から引っ張り出すのが
  得意な陰険な性格で おまけに何故か深い身の上話を振られることが非常に多いと言う事も相俟って従兄弟
  の母親から従兄弟についての事情を知ったと言う訳で 従兄弟と話す時には 私は未だにその話を知らない
  ことになっている

  従兄弟は 農家の跡継ぎのような存在である
  地域の中でも 何やかやとリーダー的存在の家庭で おまけに我家の家系はアルコール漬けの人間が非常に
  多く存在するため いつも誰かしらが遊びに来ていたり 近所付き合いとかも大変 何かと行事の参加など
  も忙しく 年がら年中作物を育てるために お婆ちゃんもヘトヘトになりながら働いていると言う 都会育ち
  の女の子にはちょっと向かないような家庭である

  しかし 当時従兄弟がお付き合いをしていた女性は 割と都会の方の方だったらしい
  私も一度見たことあるが なるほどそんな感じであった

  従兄弟はその人をとても愛していて 真剣に結婚を考えていたのであるが 家庭の状況を考えると とても
  その人を幸せにしてあげることができないと判断し 断腸の想いで別れを告げたと言う
  それはもう悲しみに耽って居たことだろう


  しかし それだけならまだ良い
  実際私も 農家ではないにしろ似たような境遇であることに変わりはないので そういう環境に生まれ
  育ったのだから仕方無い と言う気持ちになることも多々ある

  問題はその後である
  数ヵ月後 まだ相手に対する愛情も冷めやらぬ内に どこぞから「彼女が何時々々に結婚したぞ」という
  話をキャッチしてしまったらしいのである

  確かに出逢ってから1.2ヶ月で結婚してしまうという事も全く有り得ないことではないが 普通に考えて
  二股を賭けられていた可能性が大である

  しかも相手の女性も 従兄弟と付き合っていた時に結婚の話を振ってきたことも何度かあるそうで それって
  一体どんな心境でそんな話をしたのだろうかと 私からみれば不思議でしょうがない


  一件だけではなく、チョクチョクそういう話を耳にする
  現代の恋愛とは 所詮その程度のものなのか

  そう考えると あまり一人の人を深く愛するのも実は非常にリスクの高いことではないのだろうか などと
  妙にドライな考えになってしまう自分が嫌である

  ただ 出来る事なら 自分はそういう思いを味わわずに過ごせていければ良いな と思うだけである
  寂しい世の中になったものよ ..



   -----------
   着信したメルの要約は 上記のようである



   「お前が古い! 従兄弟を思えば気の毒としか言いようもない がしかし 当世当たり前のコトよ ..」
   わだすは彼に そう返書をした

   正直 私の腹に 彼のボヤキが古いなどと思う気持ちは爪の先ほどもない
   彼同様に 同じ様な話は幾度か聞かされたこともあり その都度彼のボヤキに似た感情を抱いている
   私でもありますから

   返信は ただちょっぴりわだすの方が当世風に近いと つまらぬ見栄を張ってみただけである
   メルを読んだ時の 彼のシブイ顔を思うと 痛快でたまらない .. (笑
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         わからない・・                

 投稿者: 広大メール  投稿日:2005年12月25日(日)00時28分56秒
編集済
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    偶然 テレビで「石庭のなぞ」(正確な番組名は忘れてしまったが ..) を見た.

    ご存知 竜安寺の石庭なのですが、竜安寺は信州とも浅からぬ因縁があることを思い出し、
    奈良本辰也さんの著書を繰ってみました.



  妖術家が創った「竜安寺・石庭 (虎の子渡し)」

  「竜安寺の石庭は相阿弥の作で 虎の子渡しとか言いい名高いものだが、私等が見ても はて良い庭なのか
   はたまた どの辺りが良い庭なのか、さっぱり判らない」
    江戸時代中頃の医者で 近衛家によく出入りしていた山科道安は、そう書いている.

 天下の名園 竜安寺の石庭は、何時行ってみても何人か 何組かの人達が熱心に鑑賞している.
 おそらくは道安の述懐に似た心境の人も多数居るのだろうが、しかし誰も自分がそうだとは言わない.


 低い油土塀に空間を区切って 白砂の上に十五の石を並べただけの この人困らせな庭は 一体誰が、何時ごろ
 作ったものなのか ..
 多く専門の立場から色々な推論が出されているが、本当のところは判らないと言うのが正しい様である.

 この竜安寺の地は もともと衣笠左大臣と呼ばれた徳大寺実能の山荘が在ったところで、その前は円融寺とい
 う寺で円融天皇の退位後の御所になっていた.
 宝徳二年(1450) 足利幕府の管領 細川勝元が 徳大寺家から譲り受けて自分の別荘にし、妙心寺の義天を招い
 て一寺を建立したが これが竜安寺の起こりであるといわれている.


  細川勝元といえば、応仁・文明の乱が 思い起こされる.
  勝元が東陣、山名宗全が西陣、この両雄を中心に集まった両陣営が十一年間ものあいだ戦い合った挙句、
  花の都は文字通り 一面の焼け野原となってしまったことは、あなたも習ったとおり.
   (西陣織りで知られる西陣の地名は、この時の陣取りが地名として残ったもの)

  手を入れて間もない勝元の山荘もこの戦乱に遭って全焼し、勝元もまた文明五年(1473) に亡くなった.
  のち竜安寺が再興されたのは、勝元の死後二十数年も経ってからである.


 竜安寺を再興した勝元の子 政元は 父の跡をつぎ管領の職にあったが、まことに奇怪な人物であった.
 管領といえば幕府の重職であるが、政元は「飯綱の法」に凝り 様々な怪しい術を用いては、周囲から恐れら
 れていた.

 「飯綱の法」とは、信州 飯綱山に修行した修験者が多く使ったという妖術で、管狐と呼ばれる雌雄二匹の
 ごく小さな狐を使い 様々な不思議を現す法で、政元はそれを習得していたといわれているが「飯綱の法」を
 行う者は鉄則として 決して女人に触れてはならない と定められており、政元も妻帯はしていない.
 堅く身を守り、宙に浮かび 空を翔ける修練に余念が無かった と伝わっている.


 政元が竜安寺を再興したのは明応八年であるが、「石庭」もこの前後に造られたのだろうといわれている.
 一般には相阿弥の作と説明されている「石庭」であるが、しかしその明確な証はない.

 塀ぎわの一番南に据えられた石に「小太郎・□二郎」という文字が刻まれているが □の文字は「清」とも
 読めるし、「末」とも見える.
 この石を見付け出してきた人物の名前なのか、それとも石庭の製作に携わった人物の名前なのか、いずれに
 しても珍しい例であるという.


 「虎の子渡し」ということが喧しく言われだしたのは江戸時代になってからで、虎が川を渡る様を現しており
 何処から見ても十五ある石の一つが隠れるように考慮して配置されているなどと言うコトが、この庭の大秘密
 でもあるかの様に、物々しく説かれている.

   「虎の子渡し」
     伝わるところによれば 虎は子を三匹生み、その中に必ず彪(ひょう)が一匹いるそうである.
     彪は獰猛(どうもう)で、しばしば兄弟を食べてしまうのだという.
   ある時、母虎が三匹の子虎を連れて河を渡ろうとした.
   ところが水は深く、子虎は自力で渡ることはできない.
   子虎を一匹ずつくわえて向こう岸に渡ればよいのだが、彪をほかの子虎と残しておくと食われてしまう.
   そこで まず、彪をくわえて向こう岸に渡した.
   次に 一匹を渡し、彪をくわえてもとの岸に戻った.
   今度は彪をもとの岸に残して、もう一匹をくわえて向こう岸に渡った.
   この様に 二匹の子虎を向こう岸に渡してから、最後に彪をくわえて渡った.
   何とも用心深い方法であるが、彪にほかの子虎を食べられないために こうするのだという.
                                     (宋『癸辛雑識続集』)

   石庭の石は、この様子を現して配置されている というのですが ..

    凄まじいばかりの 戦乱の世を生き抜くための教訓でもあるのか
    はたまた 人の心の置き方を教えるものであるのか ..


  映像では、一般が立ち入りを許されている廊下の いろいろな場所から石庭を映して見せ、十五の石が
  常に十四しか見ることが出来ないと検証していた様であったが、ある部屋の ある場所に座した時のみ
  十五の石 すべてを見通すことが出来る と映し 見せていた.
  はたして それがどんな意味を持っているのか までの説明は無かった様に記憶しているが ..

   まあ 石も白砂も語りはしなし、どう考えるも観る人の自由 というところなのでしょうかねえ ..



 ついでながら、方丈の南下に静かに水を湛えるのは徳大寺山荘の名残をとどめる鏡容池で、俗に「おしどり
 池」と呼ばれている.
 その名の通り 昔は鴛鴦が群れをなして集まっていたが、ある時 里の猟師がその雌の一羽を撃ったところ
 残された雄は嘆き悲しんで狂い飛び、果ては方丈の裏山に落ちて死んでしまった.

 その情の細やかさにうたれた里人は そこに二羽のむくろを埋め「おしどりの社」を建てたのだったが、以来
 この山に茂る木々は いつの間にか二本が交叉してくっつき 離れなくなってしまったと伝わっており、
 その木を「連理(れんり)木」と称して たいそう珍重されたという.

 「都名所図絵」を画いた秋里離島もその図中に、この池に群れをなして浮かぶ多くの鴛鴦を描いている.
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        ・・・                

 投稿者: 広大メール  投稿日:2005年12月20日(火)18時56分13秒
編集済
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  私は病院が嫌いである
  あまり病院が好きとおっしゃる方も少ないであろうが、ことに注射器を振り回す医師は苦手である

   その注射は その時の私に必要であるから・・ 勿論 頭では重々わかっている.

  が、嫌なものはキライで キライなものは嫌なのであり、昨今は注射より薬を処方する医師が増えている
  と聞けば、同じ様に注射が苦手とおっしゃる諸兄諸姉にあられては ご同慶にたえない.

   まあ スーパーマーケットの買出しよろしく、ビニール袋一杯の薬を下げて薬局から出てくる図
   なんていうのは、それはそれで また別な心配の種にもなるのですが ..


 そんなコトを言いながら「チ(血)ー くれ~!」なんて電話が来れば、ひょこひょこ出掛けて行ったりする.

 これは「幾分でも人様のお役に立てれば」などと言う殊勝なココロ持ちなどは更々無く、電話をして来る奴が
 赤い十字マークの血液センターに勤める友人だからであり、迷惑なことに コイツはドラキュラ伯爵の子孫で
 もあるかの様に、他人の血を欲しがるのである

 医師が振り回す注射器よりは幾分か太い採血針の方が なお恐ろしくはあり、因果なことに人一倍濃い血液を
 両親から受け継いだわだぐじは、ゆっくりと採血チューブを伝わってゆく おのが血の色を見詰めつつ 長い
 時間を耐えなければならないのであるが、まあ これは浮世の義理と観念して、痛みを堪えている




  「良く出来たプランだと思います、診察室や処置室も使い良さそうだし .. 外(外観)もね」
  「ココに窓があるのは明るくて良いですよね ..」

 平面図に書かれた待合室の幾つか並んだ窓の位置をさらに確認する様に指しながら、若先生は綴じられた図面
 のページを繰っていく.
 里の近所に古くからある開業医の大先生から「建て替えるから」と連絡を頂いたのは七月、もう数日で八月と
 いう日のことだった.

  子供の私が事あるごとに、いえ 事が無くても .. ^^; 何くれとは無くお世話になった近くの医院であり
  ばば様とは旧知であるその医師は、もう八十を過ぎている筈である

 しかし現役のこの老医師は まだまだ元気で あまり遠くない処に開業した近代的な病院があるにも関わらず
 ココの待合室は椅子の空く間も無いほど、次々と患者さんの出入りがある

 大学の付属病院に勤める若先生が 時折帰ってきては大先生の手伝いをしていたのは知っていたが、いよいよ
 世代交代ということらしく、来年中に医院を建て替えたいとの希望であった.

 中小の病院・医院の設計には多少の実績もあることで「良いプランを作らせて戴きます」と請け合いはしたが
 頭の先から足の先までをよっく知られている大先生の顔を思い出し、何やらくすぐったい様な緊張も感じての
 ことでした.


 プランを届けてから三週間を過ぎ それまでに幾度か説明には訪ねていたが、最終決定にしたいと連絡を受け
 ての訪問だった
 綴じられた後半の概略の構造が書かれた図面を「ま これは.」と見るでもなく、またパース(完成予想図) や
 平面の間取り図を開きなおして 見入った若先生でした. が ..

 「ちょっと、いいかな」
 顔を上げ、ついて来いという素振りで応接間のソファーから 若先生が立ち上がった

 細めに処置室のドアを開け 処置中の患者さんが居ないことを確かめた若先生は 私を手招きしてからその部屋
 に入って行ったが大先生は診察中らしく、厚手の白いカーテンで仕切られた隣の診察室からは患者さんに問診
 する声が聞こえた

 仕切りのカーテンを少し寄せて 隙間から診察室を覗いた若先生
 「あの机、大丈夫だよね?」

 診察中の大先生が背にしている机が 図面の診察室内に ちゃんと収まるか? との質問の様子である.

 両側に引き出しの袖が付き たっぷりとした幅と奥行きを持った木製の大きな机で、椅子に掛けて向かう机の
 天板部分が緩いカーブで抉られており 少し身体が机に入り込む形になっているその机は、カルテや書類が
 入った棚の幾つか、様々な形の器具などを乗せても、まだ十分な余裕があった

 子供の私は この診察室の常連の一人でもありましたから その机には十分に見覚があり、その頃の大先生が
 ときおりボイッと口に放り込むチョコレートの入った きらきら光る綺麗な小瓶が載っていたことも覚えて
 いますし、注射器が出てくれば一騒動のわだぐじでしが、その痛みに耐えたご褒美も ベソをかくわたぐじの
 口へ 大先生が入れてくれるチョコレートのひとかけらでした.

   初回打ち合わせの折に
 「これ、入れるよ」
   机を撫でながら、そう言われた大先生の希望も考慮して決めた診察室のプランでしたから

 「ええ、勿論です」
   答えた私に、頷いて了解をした若先生でした

 「今じゃあ なかなか無いからねえ .. あんな机、探してもね ..」
   そんな呟きでしたが

   世代交代と言えば あれもこれもと新しい物に拘る人が多い中で、どんな想いがあるのか
   あの机だけは私も使いたいと仰っていた この若先生なのでした.


 小声で話す私たちでしたが、患者さんに聴診器を当てている大先生とちらっと視線があった
 先に出て行った若先生を追い 部屋を出ようとしていた私でしたが、立ち止まり小さく会釈をした

 上目遣いで「うん」という風に、頷いた大先生でしたが ..

 「あ .. ? ..」

 腕を上げさせて、大先生よりはいくらか若く見えるお年寄り患者さんの胸の脇に当てられていた聴診器でした

 確かに 聴診器の先は次々と音を探って患者さんの身体を移動してゆくのでしたが、その聴診器の反対側、
 つまり本来なら医師の耳に差し込まれているべき部分が、大先生の首に提げられた ままで .. ^^; ..

 問診時の医師が ステート(聴診器)を首から提げた姿で患者さんと向かい合い 話をしている姿は知っている.
 が 聴診時、患者さんの身体を探る聴診器の反対先が医師の首に巻きついたまま と言うのは、初めて見た光景
 だった.

 この大先生、患者さん達からの信頼も厚く いい加減なコトが出来る性格でも無いし、ずけずけと物を言う
 闊達な口の割りには その温和な人柄を慕って遠方から訪ねてくる患者さんも居るほどなのだと聞いている.
 ならず 私自身が良く知り抜いた大先生の人柄であり、里を離れて随分経つ今でもその信頼に変わりは無い.



  「うえ(上半身)は特に変わったことも無い様だな、何処か気になるかね?」
    長い指でトントンと背中を打診して、大先生が聞いた

  「いや、他に何処とは .. そうですかあ、安心しましたよお」

  「うん、じゃあ腹の薬だけ少し出しておくから .. ○○ちゃんはどうして居るかね?」
    少しの間、患者さんから身内の近況報告の様な会話があり、

  「じゃあ、センセもお大事に」
    と、患者さんは診察室を出ていった


   よくひいた風邪の咳や発熱、悪戯のあげくの生傷の数々、昼夜に関らず突然にくる腹痛などなど、
   幼い背が 腹が 手足が、夜となく昼となく さんざん心配をお掛けした その大きな手である
   相応に皺こそ多くなってはいたが、トントンと打診する 白くて長い指は健在だった



  聴診器はおろか あまり患者さんの顔を見ることもなく、口もきかずに検査票とにらめっこをしながら
  黙々と机上のPCへ薬の処方を打ち込んでゆく ..
  病気は診ても患者さんを見てはいない、そんな医師が増えていると言う

 身体に触る事を患者さんが嫌がるからとも言うし、化学的に分析された検査の結果の方が正確だからとも聞く
 化学的にと言われれば物理的には確かに正確ではあるのだろうし、昨今複雑になる一方の種々の病であれば
 最先端の技術を駆使した検査が、ますます重要になってくることも判らなくはない.

  がしかし反面、患者さんを見詰め 撫で 押し 打診して、潜む病気を探り出すことが出来るほどの技術を
  持った医師が居なくなった という事情も、事実であろう.

 ガンマーナイフ、サイバーナイフ などと聞けば、SF映画に登場する新型兵器の名称でもあるのかと思って
 しまうが、以前 脳腫瘍の話をされた友人のことが気になり 知合いの専門医に話したところ その医師の口か
 ら出てきた言葉であり、先端をゆく治療法なのだという.
 従来のように頭を切り開くことなく 腫瘍などを消すことが出来るのだというが、それにしては何やら恐ろし
 げな名称ではある.

 先端技術の切れ味を誇張するような名前より、もう少し患者さんへの心理的な影響にも配慮が欲しいところで
 ある などと考えるのは、余計なお世話というヤツなのでしょうかねえ ..
 「一発スッキリ~♪」とか ..   便秘薬と間違われそうだけれど ..


 まあ、病巣がハッキリしている病には それなりの処置法が必要であるにしても、「病は気から」とは 古人の
 教えである
 しかし 悪化した生活環境から発生する 複雑怪奇とも言えそうな現代病は「気から」ばかりとは思えなくもあ
 り、でもそれらの中には多分に「気」の部分をも 多く含んでいる様な気がしてならない ..
 などとは、医者ならぬ身の勝手な戯言と お聞き流しをいただきたいのですが ..



 聴診器の先が耳に入ってはいなかったが 患者さんの身体が訴えかけてくる諸々の症状、とくにココロが語り
 かける症状を聞き分けるためには 聴診器より患者さんの顔や口元を見ていた方が良く聞こえるのかも知れな
 いし、大先生のあの温かい指先の方が もっと鋭い聴覚を持っているのかも知れない

  あ、大先生がボケちゃった .. などとは、けっして考えたくないワダスですから .. (笑


  毎度のことながら 長いばかりで取りとめの無い話のこと、まっこと恐縮なのではありますが ..
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         都落ち                

 投稿者: 広大メール  投稿日:2005年12月 7日(水)19時09分15秒
編集済
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   時節柄でも あるからなのでしょうか ..

   歩道の信号を待つ背中へ 後ろでスーツを決めた見知らぬ三四人の会話から「都落ち」という言葉が
   聞こえてきた

 「都落ち」、なんとなくイヤな言葉である

 ちょいと寂しげな表情で
 「オレもうダメだなあ .. 都落ちすることに決めたよ ..」 などと、言ったりすれば

 「イヤな言い方をするなよ、頑張れるだけ頑張ったじゃないか ..
  住めば都とも言うし、新しい環境でやり直せるのだから 考え様によってはオレ達より良いんだぜ ..
  オレも行きたいくらいさ ..」

   などと励まし、いちだん酒の量も増えてゆくワケではある ..
   が、そうは言っても けっして付いてなんか行きゃあしない・・



  「都」とは もちろん京都、 ただし 元来は・・・のコトではある
  その京都を大集団で「都落ち」したお歴々はと言えば、先ず思い浮かぶのが一族郎党を引き連れた
  平氏一門の面々で ..


    祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
    沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす

    奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し
    猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵におなじ

     巻頭にこの一文を供える「平家物語」は、古典文学の傑作のひとつ


 平氏の全盛時代は古代から中世への変革期であり、保元・平治の乱を契機として武士の頭領が歴史の舞台に
 登場してきたことであったが、平氏こそは まさにその主役であった

 寿永二年七月二十五日、平氏は都を落ち果てぬ・・  と 始まるこの都落ちに、平氏は後白河法皇の同行を
 断念せざるを得ず 安徳天皇のみを奉じて「都」を出発したことであり、三種の神器も運び出された

 しかし行く末がどうなるかも知れないこの都落ち、その上に 今まで「味方」であった人々も次々と離脱し ..
 その悲劇の深さを、「平家物語」の作者は執拗に描き続けている

 ともあれ 血みどろの闘争が繰り返された挙句、ついには壇ノ浦にて西海の藻屑と消え去った平氏であったこ
 とは、あなたもご承知のとおり

 この平氏に纏わる伝説は多い
 平氏の落武者たちが何処かで生き続けていたからであろうし、各地に散在するそれら伝説には数限りない

 源平争乱に限らず 中世の相次ぐ戦乱はあまたの落武者群像を生み出し、山間僻地の村々に永く影を落とし続
 けていることである


 こんにちでは「都落ち」の語も京都に限られてのコトでは無くなり、観念としての「都」の数は もはや無限
 とも言って良いのかも知れない

 維新前夜の三条実美以下七卿の「七卿落ち」くらいまでは、正真正銘の「都落ち」..
 が、近代都市の発展が農漁山村の人口を引き寄せたあと、不況ともなれば「都落ち」等は どこの都会でも
 日常茶飯事のコトとは なった


     夢破れて草深い古里に帰る人々の念頭に、赤旗を風になびかせて打ち続く 鎧武者たちの
     蒼ざめた表情がよぎったか どうか ..


   「都落ち」、淋しい言葉ではある

   「都」を最上とし あくまで「地方」を低く見る観念が貫いていて、そこには単なるペーソスとして
   のみでは片付けられないモノが 潜んでいる様にも思えはするのですが ..

    そんな理屈より、やはり侘しい想いが付き纏って離れない ..
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        ・・・                

 投稿者: 広大メール  投稿日:2005年11月27日(日)04時30分39秒
編集済
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         まだ 夜明けは気配ばかり

         去りかねて名残のさざめきは 星たちのそこここ

         闇の匂いなお濃くありて 佇まい朧に呼吸を潜めて街路樹は黒き隊列


         待ちかねて餌場の小鉢に寄りたかる 小鳥たちの姦しく

         日ごと数増す囀りに 常より異なる声色の混じりて多ければ

         厳しき寒さいよいよとぞ 身にしみてひとしお


            ふと 遠き 吹雪の夜さ 露座の仏に供えしマフラーの

               見る間に埋もれて 襟元に滲みし毛糸の色など 思いだされて

               ひとり 居れば ..
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     男 は ..          

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 9月29日(木)02時25分42秒
編集済
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   人を訪ねての 帰り足だった.

  道筋にある 古道具屋の店先に売りに出されている衝立に、ふと目をひかれた.
  それはありふれた紙張りの衝立にすぎなかったが、そのうえに描いてある若い女の全身像が 男の心を
  捉えたからである.

 値を聞いてみると非常に安かったので、男はその衝立を買い求め持ち帰った.
 部屋の中で改めて眺めてみれば、その絵は店先に居た時よりもさらに美しく見えて .. そんな気がした.

 あきらかに それは本当の似顔絵・・ 十五、六の小娘の絵姿であり、そこに描かれている髪や 目や 睫や
 口の、細かいところまでがすべて 褒める言葉も無いほどに見事に かつ真に迫るように描かれてあった.

  まなじりは 愛を求める芙蓉のよう であり、唇は 丹花の微笑みのよう であったし、若い顔全体が
  何とも言えないほど清楚な 清清しさに溢れていた.

  そこに描かれている元の娘がこれと同じ様に美しかったなら、その娘に想いを寄せない者は無かったろう
  そう思われた.

  男は、その娘がきっとこの絵のように美しかったに違いない と思った.
  その絵姿は、話しかけてくる誰にでも 今にも返事をするのではないかと思われるほど 生き生きとして
  見えましたから ..

   その絵を見詰めているうちに、次第にその美しさに魅せられてゆく男だった.

   「いったい この世の中に、これほど美しい人が本当に居るのだろうか ..」
   「もし、もし ほんの暫くでもこの腕に抱くことが出来たなら、この命を いや千年の命までをも捧げて
    悔いは無いものを ..」

  あれやこれやと想いをめぐらす時間は楽しく、独り呟く男だった.

 男は、次第次第にこの絵を恋するようになっていった.
 それも この絵に描かれてある娘より他にはけっして恋することは出来ないと感じるほど 焦がれていった.

 が、そうは思ってみたものの、もしその人が生きていたとしても もうこの絵には似ていないかも知れない.
 いや おそらくその女は、自分が生まれるずっと以前に葬られているのかも知れない.

 そんな推察とは裏腹に、この望みの無い恋心は日増しに募るばかりであった.
 飲むも食べるも 眠ることすらも出来なくなり、これまで興味を持っていた全ての事にすら 心動かされること
 は無くなってしまった.

 幾時間も絵の前に座り続け 他の事は何もかも放りっぱなしか あるいは打ち忘れて、ただ ただ その絵に話し
 かけるのだった.

 そうこうして居る内にとうとう病に侵されてしまったが、それは自分でもきっと死ぬに違いないと思うほどの
 大病であった.


 そんな男の知り合いの中に、古い絵や人の心事について 色々珍しい知識をもつ年老いた学者がいた.
 この学者が男の病を聞き見舞いにやって来たが、衝立を見て直ちにことの起こりを了解した.

  それから男は、問われるままに一切を学者に打ち明け こう言った.
  「この人が見付からねば、私は死んでしまいます」


  老学者は言った.
   「この絵は、菱川吉兵衛が描いたものだ.
    写生したものだが、そこに描いてある人は もうこの世には居ない.
    しかし吉兵衛は その女の姿ばかりではなく心をも描き込んだそうで、女の魂はまだ絵の中に生きてい
    ると言われている. それゆえ あんたはその女を手に入れることが出来ると思うよ」

   男は床から身体を起こし、この年老いた学者の顔を覗き込んだ.


   「まず、あんたは この女に名を付けてやらねばならん」

   「それから この絵の前に毎日座り しょっちゅう女の事ばかりを想いつづけ、あんたが付けた名前で
    優しく呼ぶのさ ..  女が返事をするまで .. な ..」


   「返事をしますか?」
   想い焦がれる男は 息もつけぬほど驚き、助言者に縋り付かんばかりに詰め寄った.

   「ああ、そうとも ..」
   「女はきっと返事をするよ、
    しかし女が返事をしたなら これから言う品を贈る様 用意をしておかねばならん」
   学者は言った.

   「命でも差し出しますよ!」
   男は叫んだ.

   「いや」
   「百軒の違った酒屋で買い求めた酒を一杯、女に差し出さねばならん.
    すると女は その酒をうけに衝立から出てくる.
    それから先は どうすればいいか、多分 女自身があんたに言ってくれるだろう ..」

  そう云い残して老人は帰って行ったが、その助言で男は絶望から救われた.
  すぐさま絵の前に座ると娘に名前を付け、何度も 何度も ことさらに優しく呼びかけたのだった.

   その日、返事は無かった.

    翌日も、翌々日も、さらに翌翌翌日も、翌翌翌翌日も ..
    娘は、ただ穏やかに微笑んでいるばかりであった.

    しかし男は、信念も 忍耐も失わなかった.


      それから .. どれくらいの時間が過ぎたことか ..
      ある日の 日暮れも間近かな頃のことで あった.

     「 あ.. はい .. 」

     そのときの 何回目かの呼びかけに かすかな声が応えた.

    男は 素早く用意の酒を小さな盃についで、うやうやしく差し出した.
    すると娘は 衝立から出てきて男の手から盃を受けるために跪き、気持ちの良い微笑を浮かべて
    男に尋ねた.

    「どうして その様に私を慕ってくださいますの?」

    娘は 絵よりもさらに美しかった.
    囚われた者の常として、娘の全身は爪の先までも、心も気立ても、他の誰よりも美しく思われた
    男だった.


      -- まあ、そこで男が何と応えたのかは、聞き漏らしてしまった .. の、だが ..


    「でも、じきにお飽きになるのではございませんの?」
     さらに 娘は尋ねた.

    「生きている間は、けっして!」
     彼は、きっぱりと言った.

    「それから後は?」
     重ねて 彼女は問う.  .. 花嫁は 一生の間の愛情だけでは満足しない様である ..

    「お互いに誓いましょう」
    彼は懇願して言った.
    「七生の間、変わらぬ と ..」

    「あなたが つれなくなさる様なことがありますれば ..」 と、続けて
    「私はまた 衝立の中へ戻って行きますから ..」




   が、彼らは 善良な若者たちであった様である.
   なぜなら 花嫁はついにあの場所へ戻ることも無く、衝立の娘が居たところは空白のままであったと、
   ずいぶん後になってからも そう聞かされたことでは あったから ..


     まあ、こんな事が起こるのは まったく珍しいことではあるのじゃが ..

      おや、話をさせておいて 眠ってしまうなんぞは、また行儀の悪い .. おいっ! ..
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      「北の方に ..            

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 9月24日(土)20時10分25秒
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     陸奥と呼ばれる国があった頃じゃと言うから、まあ これも古い話ではあるなあ ..」

      大きな湯飲みに残る冷めかけたお茶を ゆっくり飲みほしてから、その人は話し始めた.


  その陸奥の国は田村の郷、村もはずれの山裾に近いところに 鷹をつかう一人暮らしの猟師がおった.

 つねの様に鷹をつれて猟に出掛けたのだが、その日にかぎって何の獲物をも手にすることが出来なかった.
 鷹に与える餌も無く それに猟師も空腹でイライラとした気持ちで家路についたが、赤沼から川を渡ろうと
 川辺りに出たところで ひとつがいのオシドリが うち連れて泳いでいるのが目に入った.

 オシドリを殺すのは良くないが 空腹のうえに餌をねだる鷹のことを思えばやむを得ず、オシドリ目掛けて
 弓を構えたのだった.

 放った矢は雄の方を射抜き 雌は向こう岸の藺草(いぐさ) の中へ逃げ込んで見えなくなってしまったが、猟師
 と鷹は、持ち帰ったオシドリで取り敢えずの飢えを満たしたのだった.



  気配に気が付くと、開け放った枝折戸から差し込む月の光に浮かんで、女がいた.
  猟師には ついぞ見掛けた覚えの無い若い女が、枕元に俯いて座っていたのだった.

   どんなものを織り込めばこの様な衣になるのか、公家のお姫さまですら身にすることは難しかろうと
   もの知らぬ猟師にさえそう思わせる女の衣は、月の光を含んでぼんやりと部屋の闇を照らしているの
   でした.

  なにぞの都合で こんな村はずれまで来た都の女子が夜道に迷いでもしたのかと、言葉をかけようとしたが
  猟師の口からは声が出なかった.

  夢見心地で起き上がった布団に座したままの猟師が幾分かの落ち着きを取り戻してみれば、居住まい正しく
  座した女の 膝におかれた白い両の手の甲が濡れており、俯いた目からは次々と新たな涙が滴り落ちて その
  手を 膝を濡らし続けていることに気が付いた.

   そう気が付くと その泣き方は余りにも痛々しく、胸も張り裂けんばかりの悲しみが猟師を包んだ.


    そうして雲間に入ったのか月の光が途切れ 衣の光だけが女の顔をうすく照らしはじめたとき、
    静かに女が口を開いた.

   「なぜ、なぜあの人を殺しておしまいになったのです? ..
    あの人がどんな不都合をしたというのです? ..

    幸せに暮らしていた私たちが こんな悲しみに沈まねばならぬほど、あの人はあなた様にどんな悪事を
    したというのでしょう ..
    あなた様は 御自分がどんな事をなさったのかお判りなのでしょうか ..

    あの人が居ないいま、私とても生きてはゆけません ..
    あなた様は 私をも殺しておしまいになったのです ..

    あなた様は 御自分がどんな事をなさったのかご存じない ..

    明日、赤沼へお出でになれば それもお判りになるでしょう ..
    どうぞご自分でなさった事を その目でお確かめくださいますよう ..

     ・・・ ただ、これだけの事を申し上げに参りました ..」


   そう云い 女はまたもさめざめと泣くのだったが、その泣き声は猟師の骨の髄にまでも浸みとおるように
   思われたことだった.

    少しして 猟師が顔を上げた時には もうそこに女の姿は無く、女が座っていた辺りの床に

       日暮るれば
       誘いしものを
       赤沼の
       真菰がくれの
       ひとり寝ぞ憂き

    涙に濡れた指で書いたものであろうか、再び差し込んできた月の光に そう読めたことでした.


   まんじりとも出来ず、憔悴しきって猟師の夜は明けた.
   昨夜女が書き残した床を改めて見てみたが、床は乾ききって普段と何も変わりはなかった.


    あれは夢だったのだ .. 猟師はそう思った.

    が しかし「明日、お出でになればお判りになります」
    女の残していった言葉が、妙に気になった.

  猟師は あれがただの夢に過ぎないのかを確かめに、赤沼へ行って見ようと思った.

   川堤に着いた猟師は 辺りを見回したが、いつものように川風にそよぐ葦の葉が囁く音もあったし
   浅瀬をさらさらゆく水の音にも とくだん変わったことなどは無い様子であった.


    やはり ただの夢であったか .. もう一度、遠くまでをも見渡した時であった.
    川の中ほどに、一羽だけで泳ぐ雌のオシドリを見つけた.

   同じ様に オシドリも猟師に気が付いた様子であったが逃げようとはせず、ジッと猟師を見据えたまま
   真直ぐこちらの方へ泳いで来る.

    随分と近くまで来たな と、思ったとき、
    とつぜん オシドリは嘴で我が身を切り裂き 猟師の目の前で死んでしまった.



      猟師は剃髪し 出家をした と、伝わっておるが ..
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     またまた ..              

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 9月21日(水)21時19分55秒
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   古い お話しなのですがねえ ..

   京の都にほど近い愛宕山の上に、黙想と経典の研究とに余念の無い学識の深い和尚があった と
   言いますよ ..

 この和尚が住まいする小さな寺はどの村からも遠く離れており、こんな寂しいところでは日常に必要な物でも
 人手を借りなければなかなか手に入れることも出来ない程でしたが、信心深い村人達は毎月きまって米や野菜
 などの食べ物を運び、和尚の暮らしを助けてくれるのでした.

  この様な善良な村人の中に、ときおりこの山へも獲物を探しに来る猟師がいた.
  ある日 この猟師が一袋の米を持って寺に来たとき、和尚は彼にこんな話をした.

  「ねえ、ひとつあんたに話しがあるのだが ..
   この前お目にかかってから、ここに不思議なことが起こりましてな ..

   なんでまた わしみたような不束者の面前でこんなことが起こったのか、しかと合点がゆかんのだが ..
   あんたも知っての通り、わしは幾年ものあいだ毎日黙想にふけり、お経を唱えてきよった.

   それで こたびわしに授かったことも その様なお勤めで得た功徳かも知れんが、これは確かではない.
   しかし 普賢菩薩さまが象に召され 夜な夜なこの寺へお見えになるのは、紛れも無いことなのです.
   あんた、今晩 わしの処へお泊まりなさい、さすれば仏様が拝めますぞ」

  「左様でございますか、そんな尊い御姿が拝めますとは まったく有りがたいことで ..
   喜んで泊めて戴き、ご一緒に拝みとうございます」

    猟師は応えてそう言い、寺に泊まった.


 しかし和尚がお勤めをしている間に 猟師は今夜現れると言われた奇跡のことを考え、そんなことがあり得る
 だろうかと疑い始めた.
 そうして考えれば考えるほど、不審の念はつのるばかりだった.

  この寺に小僧が居た.
  そこで猟師は折を見てこの少年に尋ねてみた.

  「和尚様のお話じゃあ」 と 猟師が声をかけた.
  「なんでも 普賢菩薩様が毎晩この寺へ見えるそうだが、あんたも拝みなすったね?」

  「ええ、もう六ぺんも菩薩様を拝しました」
   小僧は そう答えた.

 猟師は小僧の誠実さを少しも疑いはしなかった、が この言葉は かえって彼にある疑念を一層深くさせた.
 しかしながら 小僧が見たものが何であったにせよ 多分自分も見られるであろうと思い返し、約束のお姿が
 現れる時刻を一心に待った.


 真夜中を少し前 菩薩様のお出ましをお迎えする用意の時間だと告げてから、小さなお堂の戸を開け放ち
 和尚は東の方を向いて入り口の敷居にひれ伏すと小僧はその左手に座り、猟師もうやうやしく坊さんの後ろに
 座を占めた.

  九月二十日の夜であった.
  山の上は侘しく暗く、そうしてひどく風の強い夜になったが、三人は長いこと普賢菩薩のお出ましを
  待っていた.

  暫くして 白い一点の光が 星の様に東の空に現れ、その光はずんずん近づいてきた.
  近づくにつれ次第に大きくなった光は 山の斜面の一面を真昼のように明るく照らし ..

 やがてその光は ある御姿・・ 六本の牙をもつ雪のような白い象に召された、清らかな御姿となった.
 そうして次の瞬間には、象は光り輝く菩薩を載せて寺の前に着き、ここで月光の山の様に不思議にも物凄く
 聳え立った.

  和尚と小僧は ひれ伏したまま、一心不乱にお念仏を唱えている.
  しかし猟師のとった態度は違っていた.

 弓を手にすると二人の後ろに立ち上がり、矢をつがえた弓を満月のごとく引き絞ると光り輝く菩薩をめがけて
 その長い矢を放った.
 矢は菩薩の胸深く、羽根のところまでもが突き刺さった.

 と その瞬間 雷鳴のような音が響き渡たったかと思うと白い光は消え去り普賢菩薩のお姿も見えなくなった.
 そうして寺の前には、ただ風の吹きまくる暗闇があるばかりであった.


  「ああ .. 情けない奴だ!」
   和尚は、不面目と絶望の涙を浮かべながら叫んだ.

  「この、見下げ果てた無法者! 何をしたのだ! 何をしでかしたのだ!」

   けれども猟師は 和尚の非難を受けながらも、別に悔いたりする様子は無かった.
   怒りと悔しさで震えていた和尚の興奮が 少し収まるのをまった猟師は、穏やかにこう話し出した.

  「和尚様、どうかお気を静めて 私の申し上げることをお聞き下さい」
  「あなた様は長い間、いつも変わらず黙想にふけり お経を唱えてこられた功徳で、普賢菩薩様が拝まれる
   と申されました.

   ですがもしそうでしたなら 仏様はあなた様にだけ拝まれるはずで、私はもとより小僧さんにも拝まれる
   訳はございません.
   私は無学な猟師で 殺生が家業です、ものの命を獲るということは 仏様のもっとも嫌われることです.
   ですから どうして私などに菩薩様が拝めましょう ..

   仏様は私共の周りの何処にでもおいでなさるが 無学で至らないゆえ、私共には拝むことが出来ないのだ
   と承っております.

   あなた様は 清らかなお暮らしをなされている学問のあるお坊様であられるので、実際 仏様を拝まれる様
   な悟りも開かれましょう.
   ですが 暮らしの為に生き物を殺しているような者に、どうして仏様を拝める力などございましょう ..

   ところが私も この小僧さんも、あなた様が拝まれたモノをすっかり見ることが出来たのでございます.
   そこで和尚様 今きっぱりと申し上げさせていただきますが、あなた様がご覧になされたモノは菩薩様で
   はなく、あなた様を騙そうと・・ いえ、ことに依ると殺そうとした化け物に相違ございません.

   どうか夜の明けるまで 心を落ち着かせて下さいませ.
   そうしましたなら 私の申し上げたことが間違いで無い証拠をお目に掛けましょう」


  日の出に 猟師と和尚とは普賢菩薩の立っていた辺りを調べ、うすい血の跡を見つけた.
  跡をたどって数百歩離れた窪地まで行くと、そこに猟師の矢に射貫かれた大きな狸の死骸があった.


    和尚は学問のある信心深い人だったが、狸にやすやすと騙されたのだった.
    ところが猟師は 無学で不信心な男だったが しっかりとした常識を持っており、それにこの生来の
    才知だけで危ない迷信を見抜くとともに、それを打ち壊すことができたのである.


       まあ、一方を向いてしまうと周りが霞んでしまいがちなこと、ありますがねえ ..
       あだぐじも ..
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       少し前の ことでした ..             

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 9月 7日(水)23時54分38秒
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  都でも豪商といわれる大店の一人娘が寺参りのおり、人混みの中ですれ違った若者に淡い恋心を抱いた.

  しかし人混みの中でのことで 何処の誰と聞くまもなく、互いに人の波にのまれ押し流されていった.
  でも 若者の端正な面持ち その衣装の細々としたことまでもが、娘の記憶に焼き付けられていたのだった.

 当時、多くの若者たちが身につけていた晴れ着のほとんどが若い女達に劣ることなく派手なものであり、
 恋心を抱いた娘にとって あの見知らぬ若者が身につけていた上着も、驚くほどに美しく見えたのであった.

  娘は考えた.
  あの若者と同じ紋をつけ 同じ地と色の衣装を着ていたなら、このさき何かの折に付け あの若者の注意を
  引くことが出来るかもしれない .. と.

 そこで当時の流行に従いたいへん長い振袖の 彼の若者と同じ様な衣装を作らせてそれをひどく大切にし、
 出掛ける時にはいつもその衣装を身に着けたし、また家に居る時には部屋に衣装を飾り その中に見知らぬ
 愛人の姿を偲ぶことを常とするのでした.

  時には幾時間もを衣装の前で夢想にふけり 涙を流し、彼の若者の愛を得られる様にと神や仏に祈りを
  ささげては、家の宗派であるお題目「南無妙法蓮華経」を唱えるのでした.

  が、そんな娘のひたすらな願いも空しく、二度と若者の姿を見掛ける事はなかった.
  今は つのる恋心にすっかりやつれ果てた娘は病に罹り、その短な生涯を虚しくしたのだった.


  葬儀の後 娘があれほどに大切にしていた振袖の衣装は、その両親によって一家の菩提寺に納められた.
  逝った者の思いが残された物をこの様に処分するのは、昔からのしきたりであったから ..

 住職は、その衣装をよい値段で売り払うことができた.
 それはとても上質の絹で創られたものであり、大切にされていた様に汚れ一つも付いてはいなかったからで
 あった.


  その衣装を買ったのは、亡くなった娘とほぼ同じ年頃の娘だった.
  ところがその娘は、ほんの一日その着物を身に着けただけで やがて病となり、若者の幻が見えると呟き
  彼にこがれ死ぬと叫びだしてから さして時をおかずに他界してしまった.

  そうしてその振袖はふたたび寺へと納められたが またしても住職はその衣装を売り払い、若い娘の
  持ち物となった.

  しかし 一度振り袖を身に着けたその娘も若者の幻が見えると言いだして、やがては病を経て葬られたの
  でした.


  振袖は 三度寺に納められた.

  その頃になり驚きとともにその振袖に不審をもつ様になってはいた住職だったが、もう一度とその衣装を
  売り払った.
  すると 又もやそれを買った娘は痩せ細り、あげく寺に葬られたのであった.


  四たび、衣装は寺に納められた.
  こうなると住職も穏やかでは無かった.

  「祟り」のせいと考えた住職は、その振袖を寺の庭で焼き払うよう小僧に言いつけた.
  庭に火を炊いた小僧は言いつけどおり、その中に振り袖を投げ入れたことでした.

  絹の衣装は たちまちのうちにハラハラと燃え上がったのでした ..
  が、突然 焚き火の上に 目の眩むような炎の文字、「南無妙法蓮華経」というお題目が現れた.

  そうして これらの文字は一文字ずつが大きな火花となり、屋根へと飛び上がり寺に火を着けたのでした.

  燃え上がった寺からは沢山の火の粉が近所の家々に降りかかり、町が火の海と化すまでにはさほどの時を
  必要とはしなかったし、風を呼んだ炎はさらに勢いを増して町から町 区から区へと広がり、遠くの町まで
  をも次々と焼き尽くしていったのでした.

   時に明暦は元年 一月十八日のことであり「明暦の大火」 また火元の因縁から「振袖火事」とも称され、
   仔細にあっては 今に残る古い記録に見ることが出来もするし、時の古今にかかわらぬ 一途な恋に命を
   虚しくしていった女心をも 現代に伝えるものである.
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        で ..              

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 8月 1日(月)18時29分47秒
編集済
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  俳聖「芭蕉」

   ある資料によれば、老いも若きをも含め日本の国内で一番よく知られた俳句は

    古池や かわず飛び込む 水の音

      であり、この作者が松尾芭蕉であることも 最もよく知られていることなのだそうである.


   しかし、この芭蕉翁が俳人として何とか生活できるまでの職業について、知る人は少ない.

   数多い文化人といわれる人種の中でも 特に俳人といえば、何となく「なよっ」とした書斎派のイメージ
   が浮かぶところですが、でもこと芭蕉に関しては そんなイメージとはかけ離れた 肉体派であったとい
   います.

    その職業とは、水道工事人でありましたから ..


   江戸後期に書かれた 喜多村信節の「筑庭雑録」中、「芭蕉桃青が事」の条には

   「明後十三日、神田上水道 水上総掛かりこれ有り候ふ間、相対致し候ふ町々は、桃青方へ急度(きっと)
    申し渡すべく候」

     とあり、桃青とは芭蕉のことで 神田上水の水道工事人として 赤銅色の肌を滴る汗に輝かせ、
     部下を督励しながら、元気良く働いていたのだと いいます.

   このことは 森川許六の「本朝文選」の中にも
   「修武小石川之水道四年成、年三十七」 とあるので、間違いは無いようです.

   当時の工事といえば むろんブルドーザーやバックホーなどあろうはずも無く、ひたすら人力をもって成
   し遂げなければならないものであり、そんな状況のもとで三十七才までを働いていたと言うのであれば、

   相当な肉体派であったと想像するのは容易なことで、鍛えられたその体があればこそ「おくの細道」、
   全行程2.400kmの大旅行も踏破できたことなのだと、納得のできるところでもあります.


  書き加えれば「桃青(とうせい)」とは、芭蕉が若いときに用いていた名前であり その由来は尊敬していた
  彼の国の「李白」の「李」を「桃」に、李白の「白」を「青」に変えた遊び心からなのだといい、

  「芭蕉」とは、自宅の庭に植えた芭蕉の木に因んで付けた「号」であり「号」はあくまでも本名とは違う
  世界のもので、本名の世界から脱したからには 本名「松尾」に 号の「芭蕉」続けた「松尾芭蕉」という
  言い方は正しくない、という説を唱える人もいる.


    また辞世の句は

     旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる

    ということになっており、死に際にこのカッコのいい句を詠んだことは確かとされている.
    がしかし 死ぬかな? と思っていたならその内元気になり、一夜過ぎた翌日になって

     清滝や 波に散りけむ 青松葉

    と、何やらよく判らない句を詠み ようやく(?) 安らかな息を引き取った という.


     この句碑は京の奥嵯峨野にあるが、正確を期すならば 辞世の句は「旅に病んで・・」ではない、
     と言うことになる.




     - 蛇足 -

     「芭蕉」 江戸時代前期の俳人.
     「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「おくの細道」などで、薫風俳諧を確立.
      保元元年~元禄七年(1644~1694) の人であったという.
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        えと ..               

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 7月31日(日)19時55分44秒
編集済
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  きっと あなたのところでも同じなのでしょうけれど、近頃 以前からの友達であったかのような素振りで
  露骨できわどい文面のメルが 日に数通も舞い込んできます.

  それはスパムメールといって .. かって 友人に教えられたこともありましたが、が万一の失礼があっては
  と、それらしいネムのメルは いちいち読んでは削除という作業を繰り返していました.

  しかし 日毎ウンカのように押し寄せるそれらを、ハエタタキで一匹づつ叩き落しているような気分もして
  少々参っています ..  いっそのこと アドレスを変えてしまおうか .. なんて ..

  で、そんな中の一通を読んでいるうちに 理由は釈然としないのですが思い出したモノがあり、叔母たちの
  読み漁った本が埃と一緒に括られて積まれた 里の物置を掻き回してきました.


   吉行淳之助さんのエッセイ集「無作法のすすめ」(角川文庫) からの一文ですが ..




   「SF肉体」

  以前、新宿の二丁目の赤線跡を歩いていてみると、昔のままの店構えの前に若い女が立って
  「ちょっと、ちょっと、そこのレインコートの人」
  「あんた、寄っていらっしゃいよ.お安くしとくわよ」

  口々に通行人に声ををかけていて、その口調も言葉も昔そっくりである.
  店先に椅子を置き、そこに両足を左右に踏ん張るようにして腰掛けている格好も昔のままである.

  しかし、店の中が昔と同じと思うと大間違いで、これはヌードスタジオである.
  以前は写真機を貸してくれて裸の女を写し、その店で現像しておいてくれたものだ.

  そのうちにフイルムの入らない写真機になり、今では画用紙とエンピツである.
  店によっては、何も無いところもある、要するに 客は目玉さえ持って行けばよいわけだ.

  ところで、声を掛けられて
  「久しぶりに覗いてみるか」 という気になり、店に入った.


  机の上には例のごとく画用紙とエンピツが置いてあるが、私は絵は苦手なのでそれには触れもしない.
  何もしないで、裸の女と向かい合っていても間が持てない.

  「あんた、絵を描きなさいよ」
  彼女が言う.

  「絵は描けないんだ」
  と答えると、彼女は私の前にあるエンピツを取り上げて さらさらと両脚を拡げている絵を描いた.

  これがなかなか上手で、脚の間にはシュールレアリズム風の××××が描いてある.

  絵を描き終わると、彼女は立ち上がって
  「ねえ、千円出さない? そうすればパンティを取るわ」 と言う.

  裸の女といっても、近頃では当局のお達しによりパンティ着用である.

  彼女のその言葉を聞いたとき、不意に私は何とも言えずバカバカしい気分になった.

  「パンティを取ると、何が出てくる?」
  「何がって .. 」

  「キミが横に裂けているとでも言うのなら、千円出す」

  ここで彼女はニヤリと笑い
  「そうよ」 と言ってパンティを下ろしたとすれば、これは怪奇物語になる.

  しかし彼女は
  「そんな馬鹿なこと言わないで、千円出しなさいよ」

  「それより キミが五百円出せ、そしたらズボンを脱いで見せてやる」
  私が言うと

  「あほらし」 と言って、横を向いた.


  ところが文献によると、横に裂けたものもこの世の中に存在する という.
  もっとも これは生まれつきのものではなく、その界隈の手術をしたために引きつりが起こり そういう位置
  の変化を示したものだという.

  しかし、世の中にはいろいろの人が居るのだから、生まれつき奇怪なものの所有者が絶対にいない と確信
  することは出来ない.

  そこがコワイところで、もしも中に歯が生えていて 食い切られたらどうしよう、という様な不安が チラと
  頭を掠(かす)めることもある.


  これは男性の例だが 近藤啓太郎が聞いてきた事実によると、大きくなるときポキポキ音のするペニスが
  あるそうだ.

  それはまことに頑丈なもので、水が一升入ったヤカンをぶら下げても ビクともしないのだという.

   ペニスには骨が無いのだから、海綿体が膨張するときに なにかの加減で音が出るのだろうが、
   理詰めに解釈すると面白くなくなる.


   「一丁やったるか!」

    左右の掌をこぶしにつくり ポキポキと指の関節を鳴らしている図があるが、それに似ているところが
    面白い.




       ・・・・ ..
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        フッ と ..                

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 6月 7日(火)19時40分15秒
編集済
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   思い出したこと ..

  「息を引きとる」とは、人が亡くなる間際を 言い表した言葉である.

  「引き取る」とは「(息を) 吸い込んで」とも聞こえるが、しかし「頑張らない」の著者としても知られる
  諏訪中央病院のあるドクターは、

  「人の最後は、息を吐いて終わる」
  「ご縁があったにも関わらず、亡くなられていかれた患者さんの大方に そう感じられた」

  「私たちも "ホッ" とした時に深く息を吐きますが、それにも似ていますね」

  また、
  「その息を生きている私達が吸わせて戴くことで、命が脈々と繋がっていくものなのではないでしょうか」
  「最後に息を吸って亡くなられるのでは、その都度失われていくものが多い様な気もしますしね」
    と語る.


  先日亡くなられた かっての貴乃花関は、小兵であったがため立ち上がりと同時に土俵隅へと押しやられる
  事が多かったが、同時に観客が「ハッ!」 と息を飲む息遣いを体で感じていたという.

  が、押しやられた土俵の俵に "グッ" と足を踏ん張ったその時には貴乃花も "グッ" と息を溜めており、

  「はっけよいっ!(呼吸を合わせて!)」
   叫ぶ行司の声に、

  「お客さんの "ホッ" と吐く息に背中を押され 戦う事が出来た」
   ある対談で、思い出としてそう話していたことを思い出す.


  「阿吽の呼吸」とは 合図などを必要とせず自然に同期する互いの状態を言うが、その微妙な心の動きは
  血を分けた者同士よりは むしろ長い時間を連れ添った元々は他人同士であった夫婦の方に良くみられる
  という.

  血の繋がりには「ムシの知らせ」とか「胸騒ぎ」など 見えずとも以心伝心という様な形で伝わるものがあ
  るが、夫婦の場合には その時間同じ空間を共有して居るうちに、互いの呼吸のタイミングを自然に体が記
  憶していった結果なのかもしれない.

  勿論、いまさらと苦笑をなされる向きもあるかとは思いますが、互いを思いやる「愛情」が それぞれの心
  の何処かに潜んでいればこそ であことは、云うまでも無い ..


   深呼吸も、二呼吸目からは より深く息を吐くこと.
   身体の中に滞っていたものを、きれいに吐き出すことが肝心なのだ と云います.


  「さあ、全部吐いてラクになれ!」
   刑事モノなどでは定番の台詞であるが、やはり楽になるためには吐かなくてはならないらしい.


    あなたも楽になってみません? .. すべてを吐き出して .. さ .. (笑
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        づれづれ         

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 5月24日(火)20時47分30秒
編集済
   
 
   口で、眼で、心で と、読むは三到というほどに、また積み上げて踏み台や 昼寝の枕になどなど
   本には幅広く(?) いろいろな楽しみ方がありますが ..  (笑 

  
 特にその時代の背景を強調したもの、実在した人々を書いたものなどには、本筋の参考として年表や同時代の
 エピソード等が書き添えられてある本も多く、参考の方を読み進むうちに本筋からは遠く離れて 別の世界に
 迷い込んで居たりすることもよくある わだぐじなのですが、この話もそんな中から拾ってきた一つです.
 
 ま、かの余りにも有名な一節をこの掲示板タイトルのヒントに使わせて頂いた経緯もありますので せいぜい
 の敬意を表したいと思うのです ..  が ..


 歌集「兼好法師集」をもって和歌四天王の一人と称され、持てる文才をいかんなく発揮した「吉田兼好」は、
 鎌倉末期 南北朝時代の人であると伝わっており、弘安六年(1283) に生まれた兼好の本名は「吉田」ではなく
 「卜部(うらべ)」といい 後宇多上皇光厳院に仕えたのでしたが、建武の内乱以降はっきりした消息は不明に
 なってしまったのだと云います.

 この兼好、歌人としてばかりではなく「徒然草」でも判る様に、随筆家としてもその名を今に轟かせているこ
 とは、あなたもご承知のとおり.
 まあ、現代であれば さしずめ売れっ子の文筆家とでもいうところでしようか ..


 で、そんな兼好に目を付け 恋文、つまりラブレターの代筆を依頼した人物がいたと云う.
 高 師直(こうの もろなお) である.

 師直は足利尊氏に仕え、尊氏が征夷大将軍となるとその執事として権勢を振った男として知られているが、
 権力を手中にした者の常として、師直にもあえて横車にも等しい情熱を燃やした美女が居ました.


 その辺りを記したものの本によれば、男として一度は握ってみたい権力と云う名の剣を我が物としながら、
 寝ても覚めても頭の中は彼女のことばかり、食事も喉を通らない日々が続いていた のですと ..

 ま、相手が独身ならば なんの問題も無かったのですが、こともあろうに彼女は塩治判官(えんやほうがん)
 高貞の妻でありましたから、事はなかなか上手く進まなかった.

 それでも、夫 高貞の眼を盗んではしつこく言い寄るのだが、彼女からは色好い返事が返えってこない.
 師直は、あせる一方だった.

 どうしたものかと思案の挙げ句、ラブレターに募る想いを託し彼女の元へ届けることを思いついた師直でした
 が、しかし生憎なことに 彼は肝心の文才を持ち合わせてはいなかった.

 「そうだ!、兼好に書いて貰おう」
 さっそく兼好にラブレターの代筆を依頼した師直だったのです.

 すがりつくばかりに頼む師直の熱意にほだされたのか、渋々ながらも兼好は代筆を承諾しました、と云うか
 押し付けられてしまった、のだと云います.

 かくて、ホロホロ人妻の心をくすぐる様な名文(かどうかは 推察の域を出ない ^^;) を、デッチ上げ(?)た
 兼好ではありました.

 が しかし、人妻は初めから師直を相手にはしていなかったのでしょう、兼好苦心のその手紙を受け取るなり
 破り捨ててしまいました.

 まさか破り捨てられたとは知らない師直、今か今かと一日千秋の思いで返事を待ち暮らしていました.
 ところが何時まで待っても手紙の効果は現れないし、それどころか顔を合わせても完全に無視される始末で
 あった と、云います.


 いくらしつこい師直も さすがに諦めざるを得ませんでしたが、失恋の痛手はなかなか癒えず やたらと周囲に
 まで当たり散らす始末で それだけでは収まらず、ラブレターを書いた兼好にまで怒りが飛火してきたのです.

 「物書きという者は役に立たんモノじゃのう .. 今日から兼好をこの家に入れてはならん!」
 そう、家来に申し付けた .. つまりは出入禁止である.

 兼好のせいで振られた訳でもないのに、とんだ言いがかりではある.
 別に好きこのんでラブレターの代筆など引き受けた訳でもないのに、逆恨みを受けた兼好こそ災難であった.



   - 本職以外のアルバイトなどを安易に引き受けると、ロクなことはない -

    兼好がそう思ったかどうか 今となっては知るよしもありませんが、良い教訓になったことは
    確かであったに違いない ..
 

       まあ、気の毒やら 可笑しいやら .. 

          こう云う人は何やら人間臭くて 嫌いにはなれませんね .. (笑
 
 
 
 
 

       ふしぎ ..           

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 5月 6日(金)03時29分15秒
編集済
   

 
 写真に見る 遠い国の古い街の様なレンガや石造りではないのですが、それでもドアや店の正面あたりには
 それぞれのお国柄を偲ばせるつもりの細工であるのか、はたまたその店のマスターの郷愁ででもあるので
 しょうか、建物の味気ないコンクリート下地は 凝った異国のタイルやレンガ風の外装材で飾られており

 それなりのノスタルジックな雰囲気を演出しているのでしょうが、哀しいことにそちらの国々をまったく
 知らない私には、ピンと来るものが 何もなかったのです.


 が その路地を行けば ドア脇の洒落たレースカーテンが揺れる飾窓からは、客席に挟まれたステージで 薄い
 ショールを肩に パコを歌う体格のよい女性の姿が見え隠れしたし、和風小料理を出す店を挟み二軒ばかり

 隣では、色合いでイタリアの国旗をデザインしたドアから 張りのある声でカンツォーネが漏れてきたり、
 間接照明ばかりの淡い光の中 ピアノやギターでシャンソンの弾き語りを聴かせる店もあれば、溢れる哀切を

 ギターに託し 高く低くスパニッシュステップの靴音を響かせる店などなど 西欧風の店が多く、流暢に日本語
 を操りながら上手にお国の酒や料理を勧める 機嫌の良いマスターや歌手にも、その国の人が多いのです.


 どの店も奥行きこそはあるのですが間口は6メートルほどしかなく、さしずめウナギの寝床といった形状で
 両の壁際に添って並べられたテーブルが客席であって、その列の中程に両側ともテーブルの無い場所があり

 そこを横切り、フロアの真ん中を貫く通路の突き当たりにカウンターがある、つまりテーブルの無い「そこ」
 が全方向ステージで、隅にアップライトのピアノや天井から下がるスポットライトなどがある店もあった.


 そんな店が肩を並べる路地が 少し広い通りと交差する角にあるのが私の常の食事処であり、時折なのですが
 私は昼食、向こうは朝食で、定食の納豆を載せたご飯を野沢菜漬で器用に包み もぐもぐと上手に箸を使い
 
 こなす 白い肌に高い鼻の中年シャンソン歌手や、お国のパスタやピッツァがいかに旨いかを 身振り手振りを
 混え 自慢をしながら蕎麦をたぐるイタリアーノ達と相席になったりする、飽きない食堂なのです.


 しかしそんな路地も、手前に二本ばかり曲がり角を違えると 雰囲気はガラリと変わっているのです.

 路地の巾も 連なる店の規模もほぼ似たようなのですが、派手な色のネオンに飾られて そこに並ぶ店々には
 手慣れに酔客を接待する複数の女性達がおり、なかには流行のボッタクリまがいの店まである と云うことで

 あったし、それらに混じってオカマさんの店も幾つかあるのだと 食堂のオヤジさんが話していましたが、
 はからずも その筋の店の それらしい人とは、私も不思議な出会いをしたことがあったのです.



 10時が閉店の食堂に向かい、空きっ腹を抱えて急ぎ足に その路地の角を通り過ぎようとした私でした.

 路地から突っかけサンダルで飛び出して来た きれい綺麗にお化粧をしてはいても街路灯の光にですら 一見
  してそうと判る オカマのお姉さん(お兄さん?) が 私の前に立ち

   「お金ちょうだい!」 
    真っ赤にマニキュアをしたゴツイ手を差し出したのです.

   「ねッ、千円ちょうだい! .. はやく はやくう .. わたし忙しいんだから!」

  オカマさんの店の中での コトではない.

  閉店の時間を気にしながら 晩飯にありつくべく道を急いでいただけで、オカマさんに友達の記憶はありま
  せんし いや、ひょっとしたら「その道」に参加した友達がいるのかも知れないが、取り敢えず目の前の
  その顔には 見覚えが無かったのです.

   「千円、ないよ .. 」
   「どうして?」

   オシッコを我慢している子供みたいに、オカマさんはでかい図体でピョンピョン跳びはねている.

   「マン札しかない」
   「マン札だっていいわ、お釣り持ってくる!」

  財布から取りだす一万円札を ひったくる様に取りあげたオカマさんは、出てきた路地へ駆け込んでいった.
  空きっ腹であり、突然の突然な ことであった、

  「えっとお .. 」
  コトの成り行きを反芻している私の前に戻ってきたオカマさんは、息を切らせながら私の手を取り千円札を
  九枚載せた.

   「はい、九千円のお釣り! わたし正直でしょ」



   まあ、たった一度の そんな出会いでしたが ..
   確かに正直なのかも知れなかったが ..  でも、マジメじゃあない ..

   ただ路地を横切っただけの男から千円のチップを取り、そのうえ九千円のお釣りまで持ってくるなんて
   ド真面目なニンゲン(?) のやることではない ..


   なんとか晩飯には間に合ったのですが、なぜか 腹を抱えて笑う大きな声が聞こえて来そうな気がして
   オヤジさんには 話しそびれてしまった ..

 
      まあ、- あんたって 不思議な人だねえ .. -  

        わだぐじも時々 あきれ返られたりしては いますけれど .. ^^; ..


 
 
 

       ・・・            

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 5月 3日(火)18時37分55秒
編集済
   
 
 
 
 
         開きかけた都わすれの 浅く青紫の向こうに 翳りゆく陽があり

         街路樹の枝々を透かして 茜の空 果てる辺り 

         細く震えて 銀色が鈍い蜘蛛糸にとまる 欠けた薄月は

         まだ かすか 酢牡蠣の冷たさで

         見知らぬ国の 見知らぬ人の 呼吸する振動を語りかけ

         息苦しさに わたしは そっと目を伏せる ..




         続く土塀の白壁に 折れて這い曲がる 長い影をかすめ 

         寝ぐら目指す羽音の幾つか 逝きかけて 後姿ばかりの春の日の肩を叩く

         風なき刻は なお佇むわたしを包み 降りはじめて 沈丁花の白い霧香のなか

         今更に 恋しき人々の淡き影ありて なにゆえかの涙 悔しく溢れる ..


           ただ 惜春の宵なり  今宵 ..
 
 
 
 

http://pub.idisk-just.com/fview/3Ry6T7-3Vg7ZR80G_GjWj6iRqgE1BF5R3QJkRxBVYH14np9UKtlrJQxmuZGrl5j1AqgSxq-sH8c

 

       ふうせん と かざ車                  

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 4月20日(水)21時09分42秒
編集済
   
 
 
スッ 机の脇をかすめた次席さんの 僅かな空気の動きにも軽快に応え、 細い篠竹の脚を分厚い資料ファイルのページに挟まれて 私の机の上に立てられた その風車は、クルリと廻る.

かすかに赤味を含む 黄色い色紙で作られた風車は 弱い力でも苦心して加工されたらしく、うねりや曲がりの
残された針金の軸であり、羽に近いところには赤いガラスのビーズ、外側の両端には外れ止めに やはり黄色く染められた紙粘土の玉が刺してある.


時折 疲れた目を上げては細く息を吹きかけ クルクルと廻してみたりもするのでしたが、気が付けば 廻る羽の向こうに 体を背もたれに延ばした椅子で腕を組み、そんな私に苦笑する番頭さんの顔があった.



「お仕事のところ申し訳ありません、本当に申し訳ないのですが .. 」

春は遅いこの土地ですが さすがに四月も半ばを過ぎれば、日中ではときおり窓さえ開放って居られるほどに うららかな毎日が続いております.

その日も、そんな暖かな午後のことでした.

遠慮がちに押し開けて顔を覗かせたドアから、「どうぞ」と次席さんに招じ入れられ姿を見せた人は、低学年の小学生かと思われる年頃の 少女の手を引いていおられました ..

「お仕事の場にまで」と なお恐縮の体で来意を告げたそのご婦人の話で、 過ぎた夏の日 幼稚園の帰り道に
風船蔓が欲しいと私の家を訪ねて来られた女の子と、その緑の風船をプレゼントされた 年若い母親とわかり

女の子は 幾度か自宅を訪ねてくださったとのことでしたが、不規則を常としている時間を さらに不規則に生きている私には出会うことが出来ず、「どうしても」と云う その子の意志で「ご迷惑を重々承知で」と 事務所まで来てしまった経緯を申し訳し、若い母はまた頭を下げたことでした.



「不味い事でもしてしまったのかな .. 」 

少々の不安を抱き応対していたのでしたが、この処の相次いだ法事に不精ヒゲをサッパリと落としていた私の顔をしげしげと見詰めていた、もう肩を越して延びた髪を あの日と同じように黄色いリボンで止めて 三つ編みの少女から

 「はいっ」
   後ろに隠していた手を目の前に差し出されれば、握られていた「黄色い風車」でした.

 「また 貰ってもいい?」 
   慌てて手を引き寄せ たしなめる母親をよそに、その子は私を見上げた.

 「はい いいですよ、居なくても採っていっていいからね、手を怪我しない様にね」

    あの時のお返しの この風車だと、やっと理解できた私だったのです.



   細めに開けた窓からの 僅かな風にも元気に躍って見せてくれる 風車である.

    教えてくれた父親と半日を費やし、回りはじめた黄色い風車 とのことであった .. 


 
 
 

       いかがな ..              

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 4月 5日(火)19時39分58秒
編集済
   
 
 
「最近、自転車がよく盗まれましてね」
娘からのプレゼントだという花柄マグカップにサイフォンのコヒを注ぎながら、番頭さんは話した.

「親戚の子が家に下宿していましてね、自転車を駅に置いての通学なのですが この二年で三度も ..
 鍵も掛けてあったと言うのですが .. そのたびに青くなって帰って来るんですよ .. 」

私がよくお会いするお年寄達がしてくれる、戦争後の物の無い 心の荒んだ時代の話しではない.
長引く不況下に経済界のみならずも大揺れではあるが、それでも日常の生活に直接関わるモノ達を見れば
世界でも 一、二の豊かな国でのことである.

しかも 盗まれた自転車は 我が家に持ち帰るでもなく、途中に放棄してしまうらしい ..
ここが憎い.


  まだ学生であった頃、イタリア映画「自転車泥棒」を 深夜のテレビで見たことがあった.
  長い失業生活のあと、やっと街角にポスターを貼って歩く仕事にありついた男の話である.

  妻は質屋に入っている自転車を無理をして請け出してくれた.
  それに乗って貼って歩く途中のある夜、自転車を盗まれる.

  命の次に大切な自転車を 幼い一人息子と捜して歩く .. 雨の降る日も、濡れながら ..
  そんなある日、サッカー競技場の前に何千台という自転車が並んでいるところに出くわした.

  一台くらいは ..

  彼は息子を先に帰し、その一台に跨り走り出したのだったが、「泥棒!」と追いかけられる.
  逃げて .. 逃げる .. が、しかし ..

  大戦後の荒廃したイタリアの町の、やるせない小さな事件だった ..


   が、これとそれとは時代背景が違う ..



以前、従姉妹の一人も塾の前に置いた自転車を盗まれたことがあり、警察に届けはしたものの連絡もなく、
二三日、しょげていたコトがあった.

すると突然、ある人から連絡があった.
「お宅の自転車ではありませんか、電話番号が書いてありましたので .. 」

ジープなら自転車も載せて帰れると そのイトコを連れ、手土産を提げて早速その人の家を尋ねた.

電話を下さった先方はちょっとした農家で、近くにあるその方が経営するアパートの前にその自転車は放置され
ていたのだと 説明してくださった.

お礼を述べて自転車を受け取り、帰り着いたその足で本人を派出所へ報告に行かせた.
すると警察官は調書をとり、印鑑を持っていなかったイトコに指紋押印をさせたそうである.


 先だって読んだばかりの記事を思い出す.

暴漢に襲われた人が身を守るために立ち向かったが、犯人を傷つけた.
すると警察は、襲われた被害者の方にも罰則を科したのだとという.

これでは困っている人を助けようにも出来ないし、まかり間違えば助けた方が犯人扱いをされかねない.

イトコの例でも 盗まれた方が調書を取られ、多分アパートの住人の誰かが他人の自転車を乗って帰ってきた
のだろうが、盗んだ側の捜査はしないのではなかろうか ..


ついでながら パチンコ店内で13個の玉を盗み窃盗罪で懲役10ヶ月という話しもあれば 母と子を轢き殺し
逃げた犯人が僅か2年と10ヶ月という判決など、どう理解したら良いものなのか 苦しむことが多い.

自転車と同様、傘の無断拝借 投げ捨ては日常茶飯事、また道端の農作物無人販売所では品物数と売上金額が
合ったためしがないと聞くし、良くて八割、ひどい時には五割という日もあるのだそうである.

 小さな盗み物には罪の意識が麻痺した、豊かさボケにでも罹かっていると言うのだろうか ..


 ある教育評論家の いわく、
「親は教育ならず躾までをも学校へ押しつけ、先生は多くを抱え込んで 道徳、情操が枯渇しつつある」 と ..



   まあ、腹立ち紛れにぷちぶちと ゴタクを並べるだけの あだぐじではありますが
   「衣食足りて礼節を知る」なんていう言葉も あったような .. 

    如何なもので ありましょうかねえ ..

 
 

http://8817.teacup.com/koodai/bbs

 

     せんせい ..           

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 3月31日(木)17時49分51秒
編集済
   

 
   「でね ..
    ネコバスから降りてくる子供達が「かわいいコトコせんせい、おはようございます」って 挨拶して
    くれるのよ .. ホッホ 」

   キッチンの叔母は、ポットに水を足しながら話す.


   「若い先生方は、仕草や言葉がとても可愛いいの.
   子供の名前を「亜希ちゃん」と呼ぶだけでも、声が綺麗で周りが可愛い雰囲気になってね.

   でも、うちは皆んな声が低くいでしょ、子供の名前を呼んでもドスが効いているみたいで、
   可愛いどころか 怒っているみたいな感じになってしまうのよね ..

   どうすれば可愛い声になれるだろうかって、悩んだわねえ ..
   一オクターブ音程を上げてもみたけれど 永くは続かないわね、すぐに疲れたり忘れたりして .. 

   まったく困ったわ ..


   それで しばらく考えた末にね、名前のはじめに そのまま「かわいい」と言葉を付けて
   「かわいい由里ちゃん」と呼んでみたらどうだろうと考えてね、そう呼び始めたの ..

   ところが 呼ばれた子供達は嬉しそうでね、呼ばれるたびに表情が笑顔になり、笑顔で振り返ったり
   返事をしたりして .. 楽しくなってきたのよ .. ホホ .. 」


   少なくなった飯椀を おかわりと叔母の手が受け取り、青菜の白和えが盛られた小鉢を 私の方へ寄せて、
   なおも話は続いた ..


   「それから、一年ぐらい過ぎた頃ね ..
   園児の女の子が「かわいいコトコせんせい」って 私を呼んだの、突然だったわ ..

   はじめは皆 キョトンとしたし、私自身もおかしい様な気もしたんだけれど
   でも、「わァ ありがとう、コトコせんせいうれしい!、かわいい志保ちゃん、なぁに?」って

   表情を大きくして言ったの、そうしたら 傍にいた子供達が集ってきてね
   「かわいいコトコせんせい」「かわいいコトコせんせい」って、次々に言ってくれたの.

   それがきっかけだったわね .. 皆んなが言う様になったの ..

   教室に入って行けば「コトコせんせい、かわいいね」とか「かわいいコトコせんせい」って
   呼んでくれるの ..


   園児から電話がかかってくるでしょ
   で、「うん、かわいいコトコせんせいよ」って 受け答えしていると

   華があわてて「お母さん バカに思われるわよ、言葉に気を付けた方がいいわよ」って肩を叩くのよ .. 
   ホッホッホッ ..

   「お母さん恥ずかしくないの? その年になって」ってね、笑うの .. 
   「ううん、別に .. 計算しなければいいのよ、私は嬉しくて嬉しくて」って言うんだけれどね

   また 大笑するのよ .. ホッホッ ..


   この前の一日入園の時ね、新入園の男の子が 私を「おばちゃん」って呼んだの.

   そうしたらね、一緒にいた四歳の在園児が
   「おばちゃんじゃないよ、かわいいコトコせんせいよ」って、力をいれて教えているの ..

   まあねえ .. 誰に話しても、まず笑われるわね .. ホホ
   でもね、楽しくて仕方がないのよ .. ホッホ

   幼い子供達と一緒に、タンポポに囲まれて空気の美味しい幼稚園で過ごせるなんて 最高の仕事だと
   思ってるわ .. 」



    幼稚園の増改築計画に協力せいと 日時を指定されて呼びつけられたコトでしたが ..

    旨い晩飯と、五十を間近にして「かわいいせんせい」を精一杯感じて 楽しそうな叔母の話に
    すっかり時間を過ごしてしまった 浅い春宵のひとときではありました ..

 
 
 

      ある 愚痴 ..            

 投稿者: 広大  投稿日:2005年 3月28日(月)16時32分58秒
編集済
   
 

 一市民の住所を調べ、一方的に送られてくるダイレクトメールというのは不思議なモノである.

 バンバン送られて来る時には もうイヤでたまらず 封も切らずに即クズ籠行きだったのが、
 全然来ないと淋しくなり、仕方なく「公団代行センター」のハガキなんかをジーッと眺めたりする.


 高校生のころは、英語教材のDMが毎週毎週山のように来た.
 「一週間でペラペラ」とか「あなただけの特典」と言ううたい文句で、

 「これをやらなければ あなたは完全に出遅れる!」と言うことを 暗にほのめかし、学生達の不安を
 つのらせるのだった.

 クラスメートの中には何万円も出して その教材を買った子もいた.

 「あんな機械買ったって、すぐペラペラ喋れるようになるワケはないよねぇ」 
 そう言いながらも内心 もし本当にペラペラになってしまったら どうしようと思っていた.

 ところがその子、英語の成績は全然上がることもなく 
 「わー 良かった、私たち無駄遣いしないで良かったね!」 ホッと胸をなで下ろしたものだった.


 大学生の時には 着物のDMがまた山のように来た.

 成人式の時がピークで、何と一日に十通以上が違う会社から来たことがあった.
 振り袖には全く興味がないので、それはそのままクズ籠ゆき.

 そうして卒業直前から二十五才までは、例のナントカいうたぐいの結婚相手紹介所各社から これまた毎週
 山のように来た.

 コンピューターで捜すから、より条件のいい人が見付かると熱心に勧める.

 そうして私もココでこの様な良い人と巡り会い、新婚旅行はヨーロッパへ行っただの 一見幸せいっぱいの
 男女の談話を載せているのだった.

 結婚したい人は、コンピューターで選んで貰っても 町内のおばさんの紹介でも何でもいいから勝手にやって
 欲しいと思う.

 年齢だけで勝手にこんなモノ送り付けてくるなっ! .. と言いつつ、正直いって逐一そのDMは読んでいた
 のだ.

 そこに書いてあった会員のリストを見ると、だいたい女は二十五才がピークの様であった.

 それも聖心卒とか、国立音大卒とか、いわゆる家事を熱心にやっている良家の子女や 芸術に命を燃やす
 深窓の令嬢ばかりで、単にイコジになっている某二流私大卒のOLというのは 全然相手にもして貰えない
 ようだった.

 男の方の出身大学は、早大、慶応、明大、東大、立教などというモノばかりだった.

 職業もエンジニァとか商社マン、広告代理店勤務、公務員という結婚相手に相応しいと女達が思っている
 稼業ばかりなのだ.

 根本的に仲間外れが判っている私にとって、このDMは結構おもしろかった.

 高見の見物で、エリート男女が勝手にやればいいじゃんか という気分だからであり であるから、
 次々と送られて来てもニッコリ笑って許してやっているのである.


 ところが、そのDMがパタッと二十九才になるまで送られてこなくなった.

 「そうか、テキもこっちが全然脈が無いもんだから諦めたんだな」と思っていたが 違った.
 二十九才を過ぎたら また送られて来るようになった.


  しかし、しかし .. それには ..

 「再婚相手をご希望の方も大勢いらっしゃいます」 と、バカでかく書いてあるではないの!

 それでは二十九才になった私には、もう初婚の男などあてがわれないのか ..
 後妻のクチしか無いのか .. そうか 世の中っていうものは、そういうモノなのか ..

  フン! いいよ、いいよ と、いじけてしまったのである.


 こうなりゃ もう私が目指すのは トレンディドラマに登場するヒロインの様な バリバリ(?) の
 キャリアウーマンである、

 誰が使い古しの男のところへなんぞ行くもんか .. と、それから このテのDMはクズ籠直行になっている.


 そうして つい最近送られてきたのは ワンルームマンションのDMである.

 「フム なかなかよろしい、この不動産業者はなかなか現実を把握しておる」と感心してはみたものの

 よく考えてみれば この年で結婚もしていないということは、これだけのマンションを買うだけの金を貯めて
 いるだろうという予測のもとに送られてくるのであろうが、これまた私には何の役にも立たないのである.

 これから三十五になり四十になったら、いったい何が送り付けられるのか不安になったりする.


 「ねー、空気入れると若い男の形になるダッチボーイのDMが来るかもしれないね」
  同ぃ年の友達は言う.

 「ギャハハ、やらしー!」 と言いつつ、一抹の不安は隠せない.
  ホストクラブからも 来るかも知れない.


 もしや 独り身の母はいかにと思い、電話をしたらひどく怒り狂っている.

 「ちょっと聞いてよ!、墓石のDMが来たのよ!」


 あと二十年もしたら墓石、墓地のDMが山のように送られてくるかと思うと、目の前が暗くなった.






       はぁ、誰の話しかって? .. 

        えと .. 従姉妹のボヤキだなんて そんなこと 口が裂けても言えません!

           わだすのイノチが 幾つあっても足りませんから .. (笑) 
 
 
  
 
 

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